怪物・平山相太が引退会見で明かした「忘れられない試合」「渡邉監督の慰留」「目標の人物」

2018年02月23日 小林健志

引退を渡邉監督に告げると、「もう一回自分を復活させたいと言ってくれたが…」。

ベガルタ仙台のクラブハウスで引退会見に臨んだ平山。引退発表から1か月後の会見だった。写真:小林健志

 国見高時代に「怪物」の異名を取り、筑波大、ヘラクレス(オランダ)、FC東京、仙台でプレーしたFW平山相太が1月26日、現役引退を正式に発表した。それから約1か月が経過した2月22日、ユアテックスタジアム仙台にて引退記者会見が行なわれた。
 
 リリースから1か月が経ったこともあり、平山の表情はサバサバとしていて「後悔は一切無くて、自分は次のステップを楽しみにしています。今は100パーセント次の目標に向かっています」と晴れやかな表情だった。

 
 会見の冒頭で「度重なるケガで、トップレベルでのパフォーマンスができないことが理由」と語った平山。昨シーズンFC東京から仙台に完全移籍加入後、J1リーグ開幕戦の仙台-札幌戦でベンチ入りし、試合終盤からの出場に向け準備をしていたが、試合展開も影響し出場できなかった。
 
 そして翌日の練習試合で左足首を負傷(左腓骨筋腱脱臼)。その時点では全治12週間という発表だったが、その後はリハビリが長引き、公式戦出場は無かった。
 
「手術を数回受けてリハビリをしながら、練習に合流するところまでは行ったのですが、あまり調子が良くなくて、これではチームの助けにならないと思いました。年末年始に休んで少し良くなればと思ったのですが、全然良くならず、1月上旬辺りに決断して、チームに報告しました」
 
 年末に全体練習合流までこぎ着けたが、コンディションが芳しくなく「歩くだけでも痛い」状況。かくして今シーズン始動直後引退を決断した。
 
 最後まで平山の復活を信じていた仙台のスタッフや選手には感謝の言葉を口にした。「ベガルタ仙台には1年間しか在籍できなかったのですが、渡邉監督はじめスタッフ、選手の皆さんに親切にしていただいて、自分がベガルタ仙台の一員だと思うことができました」
 
 引退を渡邉監督に告げると、慰留を受けたという。
「もう1回自分を復活させたい気持ちがあると言って下さったのですが、自分の足が全然良くなくて監督の想いはありがたいが、サッカーはできないと伝えました」。そして国見高時代の同期GK関憲太郎については「仙台で一緒にプレーできるかと思ったのですが、結局できませんでした。自分ができない分、関がやってくれると思うので、長く続けてほしいですね」とエールを贈った。会見前には仙台の練習に顔を出し、選手たちを激励した。

次ページ降格が決まった時のFC東京サポーターの振る舞いについて語った平山。

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