【連載】蹴球百景 vol.33「平成30年のワールドカップ」

2018年01月20日 宇都宮徹壱

元号を用いてワールドカップの歴史を振り返ってみると…。

1974年の西ドイツ大会の決勝戦が行なわれたミュンヘン・オリンピックスタジアム。2006年に訪れた時は、陸上競技場に改修されている最中だった。写真:宇都宮徹壱(München. 2006)

 2018年になって、間もなく3週間が過ぎようとしている。言うまでもなく今年はワールドカップイヤー。「2018」という数字は「2022」と並んで、8年前に開催地がロシアとカタールに決まった瞬間から、世界中のサッカーファンの間でずっと共有されてきた。ところで、わが国には「元号」というものもある。今年は平成30年。なんというSFチックな響きであろうか。そういえば『平成三十年』という堺屋太一の小説があったが、作品のなかで描かれていた近未来が、とうとう現実になったことに軽い目眩のようなものを覚える。
 
 この、日本独自の紀年法である元号を用いて、ワールドカップの歴史をざっと振り返ってみたい。ウルグアイで第1回ワールドカップが開催されたのは1930年。元号でいうと昭和5年である。ワールドカップは今回で21回目を迎えるが、そのスタートが昭和ひと桁であったことに「あ、ウチの爺ちゃんと同い年だ!」みたいな親しみを覚える人も少なくないだろう。余談ながら私が生まれた昭和41年は、1966年のイングランド大会が開催された年。ワールドカップイヤーに生まれたことは、私にとってささやかな誇りでもある。
 
 もっとも私のような昭和のサッカー少年にとって、世界中が熱狂するフットボールの祭典は、純粋に「テレビの向こう側の世界」でしかなかった。初めて決勝戦が衛星中継された昭和49年の西ドイツ大会、「黄金のカルテット」がパオロ・ロッシのハットトリックで粉砕された昭和57年のスペイン大会、ディエゴ・マラドーナの「神の手」と「5人抜き」が地球規模の衝撃を与えた昭和61年のメキシコ大会。それらの記憶は、月に一度書店に並ぶ雑誌の写真か、あるいは現地からの不鮮明な映像と分かち難く結び付いている。
 
 日本にとってワールドカップが「身近に」「リアル」に感じられるようになったのは、平成に入ってからの話だ。平成2年のイタリア大会は国内リーグのプロ化が具体化していた頃であり、平成6年のアメリカ大会はあと一歩のところで出場権を逃した。日本のワールドカップ初出場は平成10年のフランス大会で、4年後の平成14年には自国でのワールドカップを開催。その後も平成18年のドイツ大会、平成22年の南アフリカ大会、平成26年のブラジル大会と、多少の浮き沈みこそあったものの日本の連続出場記録は続く。
 
 ワールドカップの歴史は昭和初期からスタートしたが、わが国のワールドカップ史はまさに平成時代と共にあった。そして周知のとおり、平成という元号は来年の4月30日をもって終焉を迎えることがすでに決まっている。4年後のカタール大会は、新元号での最初の大会となるわけだが、それ以上に今回のロシア大会が「平成最後の大会」となることに、奇妙な感慨を覚えずにはいられない。われらの代表監督が、この事実をご存じなのかどうかは知らない。が、時代の大きな区切りとなる今大会で、誇らしい戦いを見せてくれることを切に願うばかりだ。
 
宇都宮徹壱/うつのみや・てついち 1966年、東京都生まれ。97年より国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。近著に『フットボール百景』(東邦出版)。自称、マスコット評論家。公式ウェブマガジン『宇都宮徹壱ウェブマガジン』。http://www.targma.jp/tetsumaga/
 
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