悪童カッサーノが人生を回顧 「路上の傭兵」から「マドリーでの後悔」まで――

2018年01月09日 サッカーダイジェストWeb編集部

「歴史を作れたかもしれないのに…」

悪童ぶりがカッサーノ(写真右から2人目)の進化を妨げたのは事実かもしれないが、同時にそれが彼を魅力的たらしためとも言えよう。 (C) Getty Images

 ユベントスのジャンルイジ・ブッフォンは先日、イタリア紙『ガゼッタ・デッロ・スポルト』のインタビューで、一緒にプレーしたなかで「最も才能を無駄にしてしまった選手」を問われると、元イタリア代表のアントニオ・カッサーノの名前を挙げた。

「バーリ(出身地)の宝石」とも呼ばれ、ローマやレアル・マドリー、ミラン、インテルといった欧州のビッグクラブでファンタジー溢れるプレーを披露してきたカッサーノ。一方で、"カッサナータ"という造語が生まれたほど、問題言動が目立つ悪童としても有名だった。
 
 バーリ時代にインテル戦で見せたスーパーゴールで脚光を浴びるまで、カッサーノは幼少期から厳しい生活を送っていた。ガゼッタ・デッロ・スポルト紙によると、フランス『カナル・プリュス』のインタビューで、「17歳までは文字通り、飢えていた」と、生計のために路上の"傭兵"だったと明かしている。
 
「金をくれるヤツと、路上でプレーしていた。俺は誰よりも強かったからね。毎日、何かしら稼いでいた。サッカーは大きなチャンスだったんだ。当時の俺には、2000リラ(約130円)が大きかった」
 
 バーリで有名になったカッサーノは、ローマを経て2006年冬にレアル・マドリーに加入。現監督のジネディーヌ・ジダンや元ブラジル代表の"怪物"ロナウドも在籍するスター軍団の一員となったが、ファビオ・カペッロ監督と衝突し、わずか1年半でスペインを去ることとなった。
 
 カッサーノは、「最も後悔しているのが、マドリーを去ったことだ」と振り返っている。
 
「史上最高のチームだった。もっと長くあのチームに残り、もっと稼ぐこともできたんだ。サッカーの歴史を作ることができていたかもしれない。でも、俺は自分の直観に従い、過ちを犯してしまった。起用されない時には、監督のことを罵倒していた」
 
 カッサーノは「多くの選手が、金を払っても加入したかったはずのチーム」に加わりながらも、何でもないことで全員に反発していたと悔いを露にした。
 
「ある日、カペッロ監督にメンバーから外されて、俺はロッカールームで怒り狂った。スペイン語でもイタリア語でも、彼を罵倒した。真の理由なんて何もないのに……。そして1年後に去ることになった」
 
 イタリアに戻ってからも各クラブでトラブルを起こし、類まれなる才能を存分に発揮できないまま歳を重ねたカッサーノは、2015-16シーズンを最後に、試合から遠ざかっている。
みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事