クラシコを前にパウリーニョが半生を回想。中国行きへの揶揄には「でも僕は今、ここにいる」

2017年12月22日 サッカーダイジェストWeb編集部

東欧→母国→ロンドン→中国→バルセロナ

加入時はファンを失望させたが、これまでのバルサにはいなかったタイプの存在である彼は、チームの穴をうまく埋めるかたちでフィットし、早々に不可欠な存在となった。 (C) Getty Images

 今シーズンからバルセロナでプレーするブラジル代表のパウリーニョは、波乱万丈のサッカー人生を歩んできた。欧州に初めて挑戦した時は、スパイクを脱ぐことも考えたという。

 英紙『ガーディアン』のインタビューで、パウリーニョは「リトアニアでは人種差別を受け、ポーランドでは給料が支払われなかった。それで『これは続ける必要がない』と考え、家族に『もうサッカーはやらない』と伝えた」と、19歳の時に引退しかけたと明かした。
 
 パウリーニョに再考を促したのは、当時の妻だ。5歳でサッカーを始めた時から支えてくれた両親に敬意を欠くと諭され、小さな娘がいたこともあり、妻から「あなたができるのはサッカーだけでしょ?」と言われたパウリーニョは、ボールを追い続けることを決めた。
 
 ブラジルに戻り、コリンチャンスではクラブワールドカップも制したパウリーニョは、2013年夏に再び欧州に挑戦する。
 
 だがトッテナムでは苦しみ、「難しい日々だった」と振り返る。自身を望んだアンドレ・ビラス=ボアス監督が加入から半年後に去り、14-15シーズンから就任したマウリシオ・ポチェッティーノ現監督の下では、本来のポジションでプレーできなかったからだ。
 
 15年夏、パウリーニョは新たな環境を求めた。だが、「良い時間を過ごせなかったからというだけで、イングランドのことを悪く言ったりはしない」と、プレミアリーグやトッテナムにネガティブな感情はないと強調する。
 
「最近、"スパーズ"の選手と戦えた(11月14日のブラジル対イングランド戦)のは嬉しかった。カイル・ウォーカーとはたまに話すし、ダニー・ローズやエリック・ダイアーと会えたのも良かった」
 
 欧州からの2つのオファーがレンタル移籍だったため惹かれなかったというパウリーニョは、元ブラジル代表監督のルイス・フェリペ・スコラーリが率いていた広州恒大への移籍を決めた。
 
 世界最高峰のプレミアリーグから中国へ。人々はパウリーニョのことを、「終わった」と揶揄した。
 
 実際、パウリーニョも「スペイン、イタリア、イングランド、ドイツとは比較できないレベルだ。全く違う」と述べている。だが、中国サッカーのレベルが上がりつつあることも強調する。
 
「16年により多くの選手が中国に来て、リーグが成長した。今は新しい法律で獲得が難しくなり、若手選手の保有義務もあって、少しレベルが落ちたと思うけど、15年以降に基準は上がった」

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