【小宮良之の日本サッカー兵法書】「目的」を果たすためにあるはずの「手段」に縛られてはいないか!?

2017年11月01日 小宮良之

バルサがポゼッションを求めるのは?

写真はU-17W杯決勝。無駄のないプレーで2点をリードしたスペイン、そしてそこから5点を奪って逆転勝利を飾ったイングランドはともに、「目的」と「手段」を理解していた。 (C) Getty Images

 日本では、ポゼッションサッカーが流行った時代、ボールを持つことそのものに強く執着した。

 ポゼッションとは、ボールを支配し、繋ぎ、イニシアチブを取ることである。しかし、それは目的であってはならない。あくまで、攻撃の手段のひとつである。
 
 目的と手段を混同してはならない。
 
 先日、日本で講演したスペイン人監督が、ある練習で日本人が指導する様子を見ながら、気になったことがあったという。
 
 それは、ゴール前に2人のアタッカーがクロスして入って、横から入るボールに合わせる、という練習だった。珍しくもないトレーニングだろう。しかし、日本人選手たちは、クロスする動きそのものに固執していたという。それを、指導者も奨励していた。
 
 この練習の眼目は本来、相手の守備を崩し、ゴールするというところにある。そこで一番大事になるのは、まずファーサイドから入る選手が一気にニアに突っ込み、マークを引きつけることだろう。それによってスペースを空け、もうひとりの選手がニアからクロスしてファーに入るのだ。
 
 クロスして入る動きは、あくまで手段である。そこを徹底しないと、「練習のための練習」になってしまう。当然、効率は上がらない。
 
 日本サッカーが模範とするバルサのサッカーでは、育成時代から「手段」としてのポゼッションが求められる。有効な攻撃をするために、自分たちがボールを持つ。ボールを持っている限り、相手に攻撃されない、という守備にもなっている。
 
 その上で、どうやって得点に持ち込むか、は「DESBORDE(崩し)」の部分を強く求める。ひとりでマークを外し、ここぞという場面で守備陣を崩せるか。ボールを持ち、回すのは、DESBORDEの前段階と言える。
 
 U-17ワールドカップでスペインは決勝に進出したが、バルサの育成選手たちを見ても、セルヒオ・ゴメス、アベル・ルイス、ファン・ミランダ、マテウ・モレイらは、自由にボールを持った時は、ゴールに直結するプレーに挑んでいる。パスを繋ぐだけでなく、非常に危険な存在になっていた。
 
「GKまでパスを繋いで抜く」
 
 日本サッカーが一時目指した戦い方は、ひとつのスローガンとしては面白かった。しかし、手段を目的にすり替えてしまい、それはブラジルW杯で、「執着」という悪いかたちで出てしまった。
 
 そして今の日本サッカーは、ヴァイッド・ハリルホジッチの号令によって、ポゼッションから面舵いっぱいで「縦に速いサッカー」へ方向を変えた。その変更が悪いわけではない。しかし、それはひとつの手段であって、目的ではない。
 
 本質的なところがズレたままだと、再び失望を味わうことになる。
 
文:小宮 良之
 
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、今年3月にはヘスス・スアレス氏との共著『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』(東邦出版)を上梓した。
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