【日豪戦コラム】ケイヒル投入でもハイボールを使わず… 豪州の「哲学」に数年前の日本が重なる

2017年09月01日 加部 究

ロングフィードへと割り切る川島に対し、豪州守護神はおぼつかないフィードで味方に繋ごうとした。

後半途中にケイヒルが投入されると、スタジアムは騒然となったが、大きな脅威とはならなかった。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

 現実派と理想家の闘いだった。
 
 日豪両監督ともに短期間でチームの性格を変えた。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、日本に根づきつつある幻想を遮断し、最初から世界の中での日本の立ち位置を見極め、最も負け難い戦い方を模索して来た。世界基準から下りて来て、その目線でチーム作りを進めたことが、逆にアジア内での苦戦の要因にもなった。アジア内では、日本の技術や経験値は最高水準にある。ところが終始闘いながら、ポゼッションという相手を走らせる息抜き場を失ったのだから、圧倒できる試合が減るのも当然だった。
 
 一方オーストラリア代表のアンジェ・ポステゴグルー監督は、自国の現状を憂い、将来を見据えた。その結果、過去の構図は引っくり返った。アウェーのオーストラリアが61.8%もボールを支配し、日本は粘り強く守備に汗を流し、奪ったら繰り返しカウンターに出た。ピッチ上からファンタジスタが消え、代わりに3ボランチとも言える中盤の構成に象徴されるように、ハードワーカーが闘い抜いた。「侍になれ」という指揮官の指示通りの試合を実践した。
 
 まさに「今」を見る勝負師と、「未来」を描く理想家の差が出た一戦だった。ポステゴグルー監督の志は尊い。長期的な成長を続けるには、今ぶれてはいけない。しかしさすがに丁寧にボールを支配して勝ち抜くには、選手たちの資質が追いつかなかった。大柄なオージーには最も困難なタスクで、この改革を成し遂げるには育成から考え直す必要がある。
 
 最初からロングフィードへと割り切る川島永嗣に対し、オーストラリアのGKマシュー・ライアンは、おぼつかないフィードながら必ず味方に繋ごうと丁寧な工夫を繰り返した。ディフェンスラインの前で攻撃の起点となるジャクソン・アーバインは、フリーでボールを受ける割には、急所を抉る輝きのあるパスは見せていない。終盤に入って空中戦に長けたティム・ケイヒルやトミ・ユリッチを送り込みながら、決してハイボールを使わなかった点について、同監督は「それが我々の哲学だから」と言い切った。だが哲学を貫いても、今結果を出さなければ滞ってしまうこともある。
 
 21世紀早々、ハリー・キューエル、マーク・ヴィドゥカら欧州トップクラブのスターたちを並べた当時のオーストラリアなら、理想も実現できたかもしれない。だが現状の戦力で高邁な理想を掲げても、日本の堅陣を崩す創造性、展開力、技術は備わっていなかった。フィジカルの強さという武器を封印したという意味でも、歴史的にも最も怖さのないオーストラリアで、これならタイと分けたのも頷ける。

次ページどこの国でも多かれ少なかれ理想と現実の狭間で揺れ動く。

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事