【追悼コラム】松澤先生が教えてくれたのは「負け根性を忘れずに」

2017年08月12日 広島由寛(サッカーダイジェストWeb編集部)

取材中の先生が熱を帯びてくるのは――。

在りし日の松澤先生。選手権の現場でお見かけして挨拶すると、「おお」と優しく応じてくれた。(写真は2005年当時)。(C)SOCCER DIGEST

 8月11日、鹿児島実業高を率い、三度の日本一を成し遂げた松澤隆司さんが、多臓器不全のために亡くなった。76歳だった。
 
 以前、『週刊サッカーダイジェスト』時代に、松澤先生の連載コラムを担当していた。月に1回の取材。キャリアの中で、高校年代の若者たちをどう導き、育ててきたのか。その貴重な指導経験について、さまざまな逸話や価値観をお伺いした。
 
 そのなかで特に印象的だったのが、負けることの悔しさをいかに次につなげるか、だった。そこからのチームとしての、個での反発力を重視されていたのだ。先生はそれを"負け根性"という独特のフレーズで、メンタルの強さ、逞しさを表現されていた。
 
 今の指導・育成現場において、あまり精神論は声高に叫ばれていないのかもしれない。ただ、厳しい戦いになればなるほど、気持ちの強さが勝敗を左右する気がしてならない。鹿実の校訓は「不屈不撓」。その指導の下で、世界を相手に逞しく戦う選手が何人も育った。
 
 遠藤保仁、前園真聖、城彰二、松井大輔、伊野波雅彦、那須大亮、岩下敬輔……。卒業生には錚々たる顔が並ぶ。高校年代から全国区の知名度を誇る選手たちだった。

 もっとも、取材中の先生が熱を帯びてくるのは、思うようにトップチームに這い上がれない、なかなか試合に絡むことができない生徒たちをどうやって成長させるかを話されている時。先生の人柄が垣間見える瞬間だった。
 
 取材は主に電話と原稿のやり取りで、お会いする機会は少なかった。たまに選手権の現場でお見かけして挨拶すると、「おお」と優しく応じてくれる。特に笑顔はないが、面倒くさがっている様子はまるでない。すべてを受け入れようとする懐の深さを感じた。
 
 連載が終わってから、ほとんど連絡しなかったことが悔やまれる。鹿児島にJクラブが生まれたことについて改めて話を聞きたかったし、まだまだ教えてもらいたいことがたくさんあった。
 
 先生、ありがとうございました。自分も"負け根性"を忘れずに精進します。安らかにご永眠されますよう心よりお祈りいたします。
 
文:広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)
 
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