【指揮官コラム】鹿児島ユナイテッドFC監督 三浦泰年の『情熱地泰』|25年でスタンダードに乗った日本に独自性は生まれるか <後編>

2017年07月04日 サッカーダイジェストWeb編集部

ビデオ判定はサッカーの魅力を変えてしまわないか?

コンフェデレーションズカップでもVAR方式による判定がたびたび見られた。未来のサッカーの在り方はさらに大きく変わるのか。(C) Getty Images

 前回のコラムでは、世の中のスタンダードから独自なモノを生み出すことの難しさをテーマにしたが、スタンダードから外れる、他とは異なる志向を目指すとなると、少し違う方向へ進みがちになる。それは心配だ。
 
 例えば、新しいトライで頻繁にレギュレーションを変える。2ステージ制だったリーグ戦を通年制に戻す。さらにまた、2ステージ制に戻して、また通年制に……。
 
 J1・J2の昇降格も入れ替え戦から自動昇降格にしたかと思えば、またその逆を……。これはまだ良い。新しいことへのトライというか、試行錯誤なのだろう。
 
 その時代、その時代に求めることへのチャレンジであり、決して新しいことではない。何も変わっていないのかもしれないし、大きな問題ではないのかもしれない。
 
 それよりも最近で言えば、ビデオ判定などのテクノロジー化が大きな衝撃と言える。
 
 昔、オシムさんがサッカーでフリーになれるのはGKだけになって来ると言っていた。それだけ守備が組織的かつスピーディーに構築され、余裕を持ってプレーできるスペースがなくなるという意味なのか。ただ、間違いなくサッカーはスピード化されてきている。
 
 最近では「メッシとマラドーナ、ペレとネイマールはどちらが上手い?」なんて一見幼稚に思える質問を受けるが、幼稚どころかこうした素朴な疑問こそ、本質を突いていたりするし、少なくとも僕にとっては本当に興味のある疑問だ。
 
 果たしてどちらがサッカー選手として良い選手なんであろうか? もちろん、現在の選手と過去の選手を並べて比較することなどできないが、まず前提として明らかにサッカーは以前より格段にスピーディーになっている。
 
 そうなると、時代によって良い選手の基準も変わってくる。スピードが上がれば上がるほど、運動量が多くなればなるほど、フィジカル的な要素も多く入り込んでくるからだ。
 
当然、裁くレフェリーにも相応の体力が求められるだろうし、判定も高度なものが求められることになるだろう。
 
 こうした流れのなかで新しいことへのトライ・チャレンジとして、ビデオ判定が導入されたのである。
 
 ゴールのみならまだしも、オフサイドやファウル、ライン際のイン・アウトまで……となれば、サッカーというスポーツが変わってしまうのであろう。
 
 いや、それでも変わらないのがサッカーというスポーツなのだろうか?

次ページサッカーの魅力は人間の力で作り上げていってほしい。

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