【指揮官コラム】鹿児島ユナイテッドFC監督 三浦泰年の『情熱地泰』|25年でスタンダードに乗った日本に独自性は生まれるか <前編>

2017年06月28日 サッカーダイジェストWeb編集部

日本は25年かけて、ようやく諸外国と同様のプロリーグを持つまでになった。

Jリーグ開幕を選手として迎えた三浦監督は、25年目に突入した現在も指揮官としてJリーグに携わる。写真:サッカーダイジェスト

 何事も独自の方法でトライするのは本当に難しい。どんな世界でも新しいことへのチャレンジは簡単ではない。
 
 きっと魚を生(刺身)で最初に食べた人や、牛や豚の肉を食べた人はすごく勇気が必要だったのかもしれない。考えてみればその辺に生える草葉と野菜はいつの時代に、誰が区別をつけたのだろうか?
 
 サッカーの世界もそうだ。
 
 リーグ戦を行ない、チャンピオンを決める。昇格、降格、入れ替え戦やプレーオフ。いろんなレギュレーションが各国にあり、欧州と南米にもそのやり方に違いはあるが、違いと言っても大きな違いではない。
 
 多くの場合、スタンダード(基準)に乗っ取ってレギュレーションが決められている。リーグのチーム数も、昇格・降格数も、自動か入れ替え戦かも、優勝の決め方は通年制なのかプレーオフ(チャンピオンシップ)を行なうのか。
 
 さすがに優勝の決定は通年制かプレーオフかで大きく違いとなりそうだが、世界中ほとんどの国で通年制と決まっている。
 
 そんなに大きな違いはないのだ。
 
 Jリーグ発足から25年が経った。日本は当時、そのサッカー文化を独自なモノとすることもできたはずだし、世界のスタンダードに乗っていくこともできた。そして、日本が歩んできた道は……。
 
 僕は発足前の92年、前哨戦であるヤマザキナビスコカップで、清水エスパルスの選手として日本のプロリーグスタートに触れた人間のひとりである(少し大げさだか…)。
 
 その時、プロクラブとして認められスタートできたクラブ(チーム)は10クラブ。今ではオリジナルテンという表現で降格時期になると話題となる。
 
 そのオリジナルテンで降格をしてないクラブもわずか2チームだ。横浜F・マリノスと鹿島アントラーズ。Jリーグ元年に優勝したヴェルディ(読売)、日本のサッカーを引っ張り続けていたジェフ(古河)、今年はトヨタが母体のグランパスがJ2へ。数年前に三冠を達成したガンバやサンフレッチェでさえJ2への降格を経験している。
 
 この10チームしか存在しなかったプロが今では6倍近い数に増えた。
<J1・18チーム+J2・22チーム+J3・17チーム=57チーム>
 57のプロチームがこの日本に存在するようになったのである。
 
 海外のリーグを見ても、ブンデスリーガは1部、2部18チームずつ、3部が20チームでトップクラスは合計56チーム。イングランドでは、プレミアリーグが20チームにチャンピオンシップリーグ(2部相当)が24チーム。イタリアはセリエAが20チームにセリエBが22チーム。リーガもプリメーラ・ディビシオンが20チーム、セグンダ・ディビシオンが22チームと、日本もこの25年でだいたい諸外国と同じ構成のプロリーグを持つまでになったことが分かる。
 
 そして、地域に根ざすフランチャイズなクラブというチームの在り方も、サッカーの世界ではスタンダードな共通認識だ。
 
 Jリーグでも発足当初から、企業名を外し、チーム名にスポンサーや親会社の名前を付けてはいけないというルールが生まれた。
 
 これまで、浦和や名古屋といった比較的経済的に余裕のあるクラブも降格を経験したのだから、お金があれば降格しないと言ったら嘘になる。しかしJ発足当時の25年前、ヴェルディが「読売」とチーム名に付けて良ければ、ヴェルディのチームとしての発展はまた少し違う方向にあったかもしれない。

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