【黄金世代・秘話】小笠原満男が明かす、オノシンジの図抜けた「人間力」

2017年06月15日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

「あの時のシンジの姿勢がいまでも忘れられない」。

12年前の感動秘話。小笠原は、僚友・小野への感謝を忘れたことがないという。写真:佐野美樹

 当ウェブサイトで連載中の『黄金は色褪せない』。1999年のナイジェリア・ワールドユースでファイナリストとなった黄金世代のメンバーたちは、アラフォーの年齢を迎えたいま、なにを想うのか。みずからの足跡を、どのように振り返るのか。一人ひとりを訪ね歩くインタビューシリーズだ。
 
 これまでに、小野伸二と遠藤保仁の波乱万丈記をお伝えした。6月16日金曜日にスタートする第3回では、小笠原満男のサッカー人生を紐解く。
 
 数多の金言とレアなエピソードを提供してくれた、鹿島アントラーズの闘将。ここではそのプロローグとして、とびきりの感動秘話を先出しでご紹介しよう。
 
 舞台は2005年。現在と同じく、ワールドカップ・アジア最終予選が佳境を迎えていた。敵地でのバーレーン戦を翌日に控えたジーコジャパン、首都マナーマでの名場面だ──。
 
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 恩師ジーコが監督に就任してから、小笠原満男は日本代表の中盤に欠かせない存在となっていく。ドイツ・ワールドカップまでの4年間、すべての試合や遠征に招集された。
 
 だがそれは、自問自答を続ける葛藤の日々でもあった。
 
「トルシエさんの頃に比べたら割と使ってもらえるようにはなった。でも、海外でやってる選手が帰ってくると出れない、いなければ出れるっていう構図。なんとか覆して自分のポジションを確立したいと思ってたけど、ヒデ(中田英寿)さん、(中村)俊輔さん、シンジ(小野伸二)、イナ(稲本潤一)の4人がいると、まあ出れなかったね。悔しさはあったよ」
 
 そんな中でも、ひとたびピッチに立てば、小笠原は印象深い働きを披露した。その最たるゲームが、2005年6月3日のドイツ・ワールドカップ最終予選、敵地でのバーレーン戦だ。圧巻のパフォーマンスを示し、鮮やかなミドルシュートを蹴り込んで1-0の快勝に貢献。3大会連続出場をグッと引き寄せる、貴重な3ポイント奪取だった。
 
 このバーレーン戦の前日、小笠原は生涯忘れることのない出来事に遭遇する。
 
「あの試合は、シンジが直前の練習で骨折して、俺に出番が回ってきただけ。急きょ出ることになったわけだけど、あの時のシンジの姿勢がいまでも忘れられない」

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