料理人を目指すはずが一転… リオ五輪代表DFに逞しさを植え付けた幾つかの出会いと転機

2017年05月19日 竹中玲央奈

別の選手を見るつもりだったスカウトの目に……。

福岡の左サイドアタッカーとして不動の存在となった亀川。好調の福岡を支える存在だ。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 高校卒業とともに、サッカーは辞めようと考えていた。それが今や五輪のメンバーに選出され世界の舞台を経験した後、J2で14節終了現在2位につける福岡にとって不可欠な主軸となっている。多くのJリーガーがプロになった背景や経緯には興味深いストーリーが多いが、亀川諒史というプレーヤーもそのひとりである。

【PHOTO】福岡がアウェーで首位・湘南を撃破! 2位に浮上
 
 帝京三高でプレーしていた高校時代は無名の存在だった。卒業後は、料理人である親戚の姿に憧れ、料理の道を歩もうと進路を決めていた。しかし、人生が一変したのは湘南のスカウトが、帝京三高の別の選手を視察に来た時だった。
 
「他の選手を観に行った時、カメ(亀川)が目立っていて。『あいついいじゃん』と。そして、練習に呼んだんですよ」
 
 湘南ベルマーレの小原光城強化本部長は、彼を発掘した日のことをこう語っていた。そして、練習でも好プレーを見せた亀川は湘南と契約するに至り、高卒でJリーガーとなったのだ。
 
 しかし、入団1年目はグロインペンをはじめとした度重なる負傷に悩まされ、別メニューをこなす日々が続き、満足にプレーできなかった。当時は、湘南の練習を定期的に見ていた筆者でさえ、彼のプレースタイルが分かりかねるほどだった。それでも、プロデビュー戦となった2012年9月の天皇杯2回戦・愛媛FCとの一戦で、自らの存在を強く示してみせるのだ。
 
 相手ボールをインターセプトし、そこから攻撃に転じる際の縦への推進力は敵を圧倒した。「物怖じしない選手だな」と感じたが、今もそれが亀川の特長であり、自身を象徴するスタイルであることは不変だ。唯一無二のこの武器をベースに、亀川はここまで這い上がってきたと言えるだろう。
 
 2013年に湘南が戦いの舞台をJ1に移すと、コンスタントに出場機会を掴み、初ゴールも記録する。練習では曺貴裁監督からマンツーマンで守備のポジショニングを指導される場面もあったがプレーが安定してくると、秋口にはついにU-20日本代表にも招集された。その頃から亀川の目には「リオ五輪代表」が視野に入ってきた。
 
 しかし、3年目の2014年シーズンは思ったほどの活躍ができず、翌年に福岡へ期限付き移籍を決断するのだ。

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