【大宮】希望に満ちた未来をその手に――。黒川淳史よ、クラブの苦境を救う旗手となれ

2017年04月21日 古田土恵介(サッカーダイジェスト)

「負傷中の筋トレで、身体作りを基本からやり直した」

6節・神戸戦でプロデビュー。59分からピッチに立つと、堂々とした振る舞いでスタジアムを沸かせた。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 あれから、1年以上が経過した。明るかった未来が暗転し、その後のプランを再構築せざるを得なくなった日だ。
 
 2016年2月13日、黒川淳史がプレシーズンマッチ・山形戦でNACK5スタジアム大宮に立った。74分に泉澤仁(現・G大阪)と交代。まだ線の細さが際立つ18歳。ただ、物怖じはしない。
 
「NACK5スタジアム大宮での囲み取材は初ですけど、ユースの時から慣れてはいるんで緊張はしてないです」
 
 そんな大物然とした言葉を残した前途洋々の若者を、大怪我が襲った。翌日の練習試合・東洋大戦で左膝前十字靭帯損傷。2月20日にクラブから負傷についての公式リリースが発表された。新星は、長期離脱者リストに名を連ねてしまった。
 
 周囲は開幕戦のベンチ入りも当確だろうと見ていた。そして、FC東京を相手にアウェーの地でJリーグデビューを飾るだろうと期待していた。結局、希望の日となったであろう16年2月27日から、デビューは17年4月8日の6節・神戸戦まで、400日以上を待つことになる。
 
 昨季、幾度か黒川を目当てに大宮のクラブハウスを訪れた。怪我からの完全復帰を目指した特別メニューに取り組んでいる期間中のインタビューも印象に残る。だが、それよりも覚えているのは、10月14日の練習後の囲み取材。空は曇りがかってはいたが、晴れていたと記憶している。
 
 入院は2月23日から3月23日までだった。病院に1か月もいて肌が白くなり、「これだと白川じゃないか」と仲間に弄られた男は、見事なまでに褐色に日焼けした肌を取り戻していた。

「実戦復帰を果たした。率直な感想は?」。そう聞いた記者に、黒川は満面の笑みで答えた。

「やっぱりサッカーは楽しいですね。幸せです」「ボールを触るのが好きなんで。今はサッカーをしたくてしたくて仕方がない」と。
 
 練習試合で手応えを掴んでいるようだった。「負傷中に筋トレをして、身体作りを基本からやり直したんです。だから、以前よりもボールをしっかりとキープできている感じはあります。それに倒れなくなった」
 
 クラブのフィジオセラピストである堀田泰史氏の下で、怪我に強い身体を一から作ろうという気持ちで臨んだ成果だった。ただただ、「細い」――。その単語が記者席から聞こえていた山形戦から、約8か月が経過していた。
 
 そして、ついに待ち望んだ時を迎えたのだ。
 
 長谷川アーリアジャスールに代わって59分からピッチに立った神戸戦では、スペースに顔を出してパスコースを作り、受け、前を向いてドリブルで仕掛けた。「公式戦初出場は素直に嬉しい。ボールを持ったら前を向いて仕掛けようと思いました」。十分にカンフル剤としての役目を果たしたと言っていいだろう。

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