レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第20回・ロベルト・カルロス(元ブラジル代表)

2017年04月20日 サッカーダイジェストWeb編集部

相手GKが怖れた左足で信じられない位置からもゴールを決めた

他の選手とはボールへのインパクト時の音が違っていた。ロベカルだけの武器が、彼を歴史に残るスターに押し上げた。 (C) Getty Images

 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。

 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、ボールが破裂せんばかりの強烈なインパクトでゴールネットを揺さぶり、数々の伝説を生み出したブラジルの"弾丸"、ロベルト・カルロスだ。

 長く在籍したレアル・マドリー、ブラジル代表で全てのタイトルを獲得するのに大貢献した「ロベカル」の偉大なる軌跡を、ここで振り返ってみよう。

――◇――◇――

 ロベルト・カルロス・ダ・シウバ・ローシャは1973年4月10日、ブラジル・サンパウロ州のガルサで誕生した。

 貧しいなかで幼い頃から働いて家計を支え、学校までの長距離を徒歩で通うなど、苦労を味わったが、彼には異常なほど発達した脚力とスタミナいう天性の武器が与えられていた。

 13歳で初めてサッカーを始めたといわれる「ロベカル」だが、18歳で地元のクラブ、ウニオン・サン・ジョアンでプロとしてのキャリアをスタートすると、そこからは成功への道を真っすぐに進んでいく。

 1992年にはアトレチコ・ミネイロへレンタル移籍し、欧州遠征で出場のチャンスを経て頭角を現わす。ウニオンに復帰した後、名門パルメイラスに加入し、ジーニョ、エバイールといった後のブラジル代表の仲間たちとともに、チームをブラジル全国選手権連覇に導いた。

 ここでの活躍はすぐに欧州に伝わり、95年夏、イタリアのインテルがロベカルを獲得する。しかしここで当時の指揮官、ロイ・ホジソンから与えられた役割は、天職の左SBではなくウイング。慣れないポジションに力を発揮できず、海外挑戦1年目は不本意な出来に終わった。

 そんな悩める23歳のブラジル人にラブコールを送ったのが、ミランで4度のリーグ制覇を果たした名将ファビオ・カペッロだった。攻守両面で重要な働きを果たせるSBとしての適性をロベカルから見出したイタリア人監督は、新天地のレアル・マドリーに彼を連れて行く。

 96-97シーズン、37試合に出場して5ゴールを挙げたロベカルは、マドリーの2シーズンぶりのリーガ・エスパニョーラ優勝に貢献。翌シーズン、実に32年ぶりとなるチャンピオンズ・リーグ(CL)制覇を果たし、その冬には東京・国立競技場でのトヨタカップで世界一にも輝いた。

 加入2シーズンで全てのメジャータイトル獲得を経験したロベカル。100メートル10秒台のスプリント能力に加え、長距離ランナーの資質も持つアスリートは、170センチに満たない身長ながら、他の誰よりも太い太腿とふくらはぎから生み出されるパワフルキックで瞬く間にサッカー界での地位を確立した。

 左SBとして頻繁に上下動を繰り広げ、迷いのない突破から鋭いクロスを次々にゴール前に放り込んでチャンスを量産。パス出しの能力も高く、中央に切れ込んでのプレーも効果的だった。そして、必殺の左足シュートは相手GKを恐怖せしめ、信じられない位置からゴールネットを揺らした。

 2000年にフロレンティーノ・ペレスが会長に就任してから「銀河系軍団」化への道を歩み始めたマドリーにおいて、ロベカルは次々に訪れるスーパースターらに負けないほどの存在感を示し、また安定したプレーを披露し続けた。

 06-07シーズンまでの11年間で、公式戦512試合に出場し、レジェンド、アルフレド・ディ・ステファノを抜いて外国人としてのチーム最多出場記録を更新。リーガ4回、CL3回、トヨタカップ2回という、輝かしき勲章をマドリーにもたらした。

次ページ97年「トゥルノワ・ド・フランス」での奇跡のFKで伝説を創成

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事