Jリーガーから年商219億円のベンチャー社長に! 元ガンバMFはいかにして成功を掴んだのか

2017年03月08日 川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

22歳で現役を引退。まさにどん底からの──。

設立からおよそ5年で、売上が200億円を超えるベンチャー企業。その先頭に立つのが、元Jリーガーの嵜本社長だ。(C)SOU

 懐かしい顔に会いにいった。週刊サッカーダイジェスト編集部でガンバ大阪を担当していた頃、取材を通して交流のあった元Jリーガーだ。

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 嵜本晋輔。1982年4月14日生まれの浪速っ子だ。来月に35歳となる彼はいま、株式会社SOU(ソウ)の代表取締役社長を務めている。

 SOUはブランド品や貴金属、骨董品などの買取・販売を行なう会社で、買取専門店「なんぼや」を中心に、様々な事業を展開している。なんと2016年8月期の売上高はおよそ219億円! 2011年の設立ながら、いまや業界では知らないひとがいないほどの急成長を遂げた。

 どれだけ貫禄が出たのだろうか。品川の最先端ビルの上層階に本拠を構える嵜本社長を尋ねた。IT企業のような洗練されたフロアの奥から、颯爽と現われる。スリムな体型と爽やかな笑顔、そして、やや強めの大阪弁のイントネーション。現役の頃となにも変わっていなかった。

 従業員339名を束ねる男は言う。

「あの頃(現役時代)は将来のことなんてなにも考えてませんでしたね。チャラチャラしてましたし、それこそ引退してからどうするのかとか、なにもビジョンがなくて。ずっとサッカーをやっていけるんやろうくらいに思ってましたから」

 ガンバには2001年から3シーズン在籍した。入団時、クラブのスカウトが「ごっつ足が速くて、点を取るセンスもある」と太鼓判を押していたのを思い出す。同期は井川祐輔、児玉新、日野優といったユースからの昇格組ばかりで、その頃のガンバの新卒はたいていが大学生だった。嵜本は関西大一高出身。「ガンバが珍しく高体連の選手を獲った」と、驚かされたものだ。

 だが、プロの世界は甘くなかった。嵜本は「僕にはこれといった武器がなかったんです」と振り返る。3年間で、公式戦出場はわずか4試合。そして、2003年の秋に戦力外通告を受けた。21歳の若さだった。

「いやもう、お先真っ暗ですよ。プロのクラブからオファーはなかったですし、もう引退するしかないんかなと」

 そんななか、嵜本が新天地に選んだのが、当時JFLの佐川急便大阪SCだった。普段はサラリーマンとしての業務に勤しむ、サッカー選手との二足の草鞋。「キツかったけど、いろいろ考えることができましたし、結果的には貴重な時間になりました。いまの僕があるのは、あの頃の経験のおかげです」と語る。

 佐川急便大阪SCとの契約は1年で終了。嵜本はスパイクを脱いだ。まさにこのどん底から、サクセスストーリーがはじまった。

次ページ「やっぱり僕を育ててくれた古巣ですから」。

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