レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第17回・バティストゥータ(元アルゼンチン代表)

2017年03月02日 サッカーダイジェストWeb編集部

本格的にサッカーを始めてから2年でプロとなった“早咲き”。

胸のすくような豪快な一撃もあれば、意外なほど細かいテクニックによるゴール、正確なFKなど、ゴールパターンは多彩だった。 (C) Getty Images

 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 さて、今回サッカーダイジェストWebに登場するのは、抜群の得点嗅覚を活かし、ダイナミックかつ正確なプレーで、世界の名GKたちが立ちはだかるゴールを次々に陥れた稀代のストライカー、ガブリエル・バティストゥータだ。
 
 アルゼンチン代表をリードして一時代を築き、クラブでもカルチョの舞台を中心に数々の伝説を創り上げた偉大な男の軌跡を、ここで振り返ってみよう。
 
――◇――◇――
 
 1969年2月1日、アルゼンチンのサンタフェに生を受けたガブリエル・オマール・バティストゥータは、この国では少しばかり異質な子どもだった。少年時代の彼の興味は多岐にわたり、サッカーはそのなかのひとつでしかなかった。
 
 勉学に励み、将来は医者になることを考えていた彼は、9歳の時に自国で開催されたワールドカップでマリオ・ケンペスの活躍に強い印象を受けたものの、その後もサッカーだけでなく、バスケットボールなど多くの競技で汗を流していた。
 
 彼がグルポ・アレグリア、プラテンセ、レコンキスタといったアマチュアのチームを経て、プロクラブのニューウェルスでデビューしたのは88年。すでに19歳になっていたが、サッカー1本に絞ったのが2年前だったことを考えると、むしろ早咲きだと言えよう。
 
 プロとしての生活に適応するのに苦労はしたが、要所で持ち前の得点能力を発揮して強豪クラブから注目を浴び、プロ2年目であのリーベルに加入。早速、リーグ優勝を経験したが、彼自身は「内紛に巻き込まれてあまり力を発揮できなかった」(本人談)。
 
 90-91シーズン、バティストゥータはリーベルから、その最大のライバルであるボカに移籍。ニューウェルス、リーベルではリーグ戦で1桁台の得点に止まった彼だが、ボカでは13得点を挙げてブレークし、チームの後期リーグ制覇に大きく貢献した。
 
 一躍、アルゼンチンのスター選手となった彼は、同時に欧州からも熱視線を注がれる存在となり、91年夏に当時、隆盛を誇っていたセリエAの強豪、フィオレンティーナに新天地を求める。キャリア4年目にして、世界最高峰リーグに辿り着いたのだった。
 
「バティゴール」はカルチョの国で旋風を巻き起こし、1シーズン目は27試合に出場して13得点という成績を残す。しかし2年目、彼自身は16ゴールを挙げたものの、攻撃偏重のチームはバランスを崩して黒星を重ね、15位でセリエB降格となってしまった。
 
 当然、バティストゥータにはセリエAのクラブから引き合いがあり、ミランに引き抜かれたチームメイトのブライアン・ラウドルップ同様にフィレンツェの町を去ると思われたが、彼はクラブへの忠誠を誓って残留を決意する。
 
 この行為により、彼は単なる外国人助っ人から、フィオレンティーナのシンボルとしてファンに愛されることとなったが、彼らを魅了したのはバティストゥータの人間性だけでなく、年々高まっていく彼の得点能力は多くの歓喜の瞬間をファンにプレゼントした。
 
 1年でチームをセリエAに復帰させ、昇格1年目の94-95シーズンには26ゴールを挙げてリーグ得点王の個人タイトルを獲得。95-96シーズンにはコッパ・イタリアを制し、チームの一員としても初のタイトルを手にした。
 
 バティストゥータにとっての夢は、フィオレンティーナにスクデットをもたらすことだったが、ユベントス、ミラノ勢が常に立ちはだかるなかで、それは非常に難しかった。98-99シーズンは序盤から首位を快走したものの、自身が終盤戦で負傷したために失速、3位に終わる。
 
 スクデットへの思いを強くした彼は00年、そのために移籍を決断。40億円ともいわれる移籍金によって、当時財政的に逼迫していたフィオレンティーナを助けられるという考えもあった。彼は愛着のある紫のユニホームを脱ぎ、ローマのエンジカラーを身に纏ったのである。
 
 思いは、すぐに叶った。中田英寿も在籍していた00-01シーズン、ローマはユベントスとのマッチレースを制して18年ぶりのリーグ制覇を達成。バティストゥータは20ゴールを挙げて、多くの勝点をチームにもたらした。

次ページ日本のW杯デビュー戦で世界の厳しさを教えたバティゴール。

みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事