クリロナ、ベンゼマ、ベイル…よりも鹿島の昌子が熱望し、実現した「同学年」との対決とは?

2016年12月21日 塚越 始(サッカーダイジェスト)

「身体が小さいけれど、ボールが取れないし、試合を落ち着けられる」。

実現した昌子対イスコ。92年生まれの“同学年”だ。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

[クラブW杯決勝]レアル・マドリー4-2鹿島アントラーズ/2016年12月18日/横浜国際総合競技場
 
 レアル・マドリーの錚々たるスター集団を相手に、身体を張った渾身のディフェンスでシュートを食い止め、アタッカーを潰し、その気迫でチームメイトを鼓舞し続けた。
 
 鹿島がレアル・マドリーと対戦できるかもしれない――。
 
 センターバックの昌子源はクラブワールドカップの大会前から、世界一の点取り屋であるクリスティアーノ・ロナウドやセンターフォワードのベンゼマ、さらには足首の手術により今大会を欠場した新騎手のガリス・ベイルよりも、「チャンスがあれば、対戦してみたかった」選手がいたと言う。
 
 『その』選手が登場したのは決勝の81分。ルーカス・バスケスと代わって前線に入った、イスコだった。
 
 過去最大級の大物と遭遇した漁師のように、昌子はその時の緊張と興奮の入り混じった充実感を振り返った。
 
「イスコ選手とプレーしたかったんです。あれだけ身体が小さいけれど(公称176センチ)、ボールが取れないし、試合を落ち着けられる。モドリッチ選手もそういった存在でした。イスコ選手は同学年なんですよ(ともに92年生まれ)。だから、僕がこれまでも勝手に刺激を受けてきた感じではありますが」
 
 昌子はそのイスコの俊敏なアタックに上手く対応できていた、と言えた。しかし一方で、結果的に彼の投入後に再びレアル・マドリーに主導権を握られて、2失点を喫してしまった。軍配は、イスコに上がった。
 
「ウチのキャプテン(小笠原満男)が常に言うように、2位も最下位も一緒。一歩一歩成長できたとも言えるけれど、レアルに勝った鹿島として名前を広めたかった。負けて当たり前と言われていたのを覆そうとしたし、非常に残念でした」
 
 そのように決勝のあと、昌子はとにかく悔しそうに語った。結局、自身のプレーに満足するようなコメントは一切発していなかった。
 
 クラブワールドカップという舞台での、ほぼ全員がトップレベルの代表チームのレギュラークラスとの真剣勝負――。
 

次ページ日本代表では得られぬ経験。“引きずり出した”イスコによって、自身の殻を破り、新たな領域に踏み出す。

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