コンサルタントを務める大物代理人もピオーリには好印象。
「キャスティング面接」を経て、最終的に新監督に指名されたピオーリ。インテルを再建できるか? (C)Getty Images
11月1日にフランク・デブールを解任したインテルは、先週末に複数の後任候補をミラノのホテルに招き、「キャスティング面接」を行ってきた。
その結果、最終的に白羽の矢が立ったのは、ピエロ・アウジリオSDらイタリアで実務を担当する幹部が一致してプッシュしていたステーファノ・ピオーリ(元ラツィオ監督)。現地時間11月8日に正式発表された。
コンサルタントとして会長のエリック・トヒルとオーナーの蘇寧グループに影響力を持つ大物エージェントのキア・ジョーラブシャンも、一方で自らの顧客であるジャンフランコ・ゾーラ(元イタリア代表FW/元カリアリ監督)を推薦しつつも、イタリア人であるピオーリに対しても当初からポジティブな意見を持っていた。
そのゾーラとともに最後まで競合としてリストに残っていたのが、昨シーズンまでビジャレアルを率いていたマルセリーノ・トラル・ガルシア。蘇寧グループはこのスペイン人監督招聘を望んでおり、日曜日の夕方までミラノのホテルで長時間の交渉を持っていた。
しかし最終的には、セリエAを最も知っており最もリスクが少なく手堅い選択であるピオーリの起用で、イタリア・サイドが押し切る格好となった。ちなみに、ジョーラブシャンもマルセリーノの起用には消極的な意見を持っていた。
12節終了時点で5勝2分け5敗(9位)とこれ以上の失敗が許されない状況を考えれば、未知数の多いマルセリーノよりもピオーリを優先した選択は、理に適っていると言えるだろう。
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
※当コラムではディ・マルツィオ氏のオフィシャルサイトにも掲載されていない『サッカーダイジェストWEB』だけの独占記事をお届けします。
【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO(ジャンルカ・ディ・マルツィオ)/1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタートし、2004年から『スカイ・イタリア』に所属する。元プロ監督で現コメンテーターの父ジャンニを通して得た人脈を活かして幅広いネットワークを築き、「移籍マーケットの専門記者」という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、2013年1月にジョゼップ・グアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。
その結果、最終的に白羽の矢が立ったのは、ピエロ・アウジリオSDらイタリアで実務を担当する幹部が一致してプッシュしていたステーファノ・ピオーリ(元ラツィオ監督)。現地時間11月8日に正式発表された。
コンサルタントとして会長のエリック・トヒルとオーナーの蘇寧グループに影響力を持つ大物エージェントのキア・ジョーラブシャンも、一方で自らの顧客であるジャンフランコ・ゾーラ(元イタリア代表FW/元カリアリ監督)を推薦しつつも、イタリア人であるピオーリに対しても当初からポジティブな意見を持っていた。
そのゾーラとともに最後まで競合としてリストに残っていたのが、昨シーズンまでビジャレアルを率いていたマルセリーノ・トラル・ガルシア。蘇寧グループはこのスペイン人監督招聘を望んでおり、日曜日の夕方までミラノのホテルで長時間の交渉を持っていた。
しかし最終的には、セリエAを最も知っており最もリスクが少なく手堅い選択であるピオーリの起用で、イタリア・サイドが押し切る格好となった。ちなみに、ジョーラブシャンもマルセリーノの起用には消極的な意見を持っていた。
12節終了時点で5勝2分け5敗(9位)とこれ以上の失敗が許されない状況を考えれば、未知数の多いマルセリーノよりもピオーリを優先した選択は、理に適っていると言えるだろう。
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
※当コラムではディ・マルツィオ氏のオフィシャルサイトにも掲載されていない『サッカーダイジェストWEB』だけの独占記事をお届けします。
【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO(ジャンルカ・ディ・マルツィオ)/1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタートし、2004年から『スカイ・イタリア』に所属する。元プロ監督で現コメンテーターの父ジャンニを通して得た人脈を活かして幅広いネットワークを築き、「移籍マーケットの専門記者」という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、2013年1月にジョゼップ・グアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。