【浦和】史上6人目のJ1・500試合出場達成。阿部がミシャからの“祝福”に誓う次なる目標は?

2016年10月01日 小田智史(サッカーダイジェスト)

「500試合達成は、阿部がどの監督の下でも重宝されてたことの証だろう」(ペトロヴィッチ監督)。

ペトロヴィッチ監督からの“手荒い祝福”に、阿部は「いっぱいチューされるように結果を残さないと(笑)」とタイトルへの意欲を語る。 写真:滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

[J1第2ステージ14節]浦和 4-0 G大阪/10月1日/埼玉
 
 ライバル相手に快勝を飾ったG大阪戦、試合後のピッチでは微笑ましい光景が広がった。ペトロヴィッチ監督が史上6人目のJ1通算500試合出場を達成した阿部勇樹に花束を手渡し、記念撮影を終えると、不意に背番号22の頬にキスしてみせたのだ。いかに、阿部がグラブにおいて偉大な存在であり、愛されている選手かを証明するシーンだった。

【浦和 4-0 G大阪 PHOTO】 ハリル御前試合、宿敵G大阪相手に浦和が4発快勝

 浦和は立ち上がりから、前線3枚だけでなく阿部と柏木陽介の2ボランチも積極的にプレスをかけた。G大阪の長谷川健太監督は、1枚ならまだしも、両方が前に出てくることは、「想定外」(長谷川健太監督)だったと明かしたが、中盤でイニシアチブを取り、波状攻撃を陰で演出したのがキャプテンの阿部だった。
 
 J1初出場を果たした1998年8月5日のG大阪戦から足掛け18年。レスターへの移籍で2年間の"空白期間"がありながら、史上最年少の35歳25日で500という数字を積み上げた。しかしながらも、この日の"主役"は「試合に勝たないと意味がないので、何よりも勝ったことが一番です」とメモリアムゲームでもフォア・ザ・チームのスタイルを貫いた。そんな阿部に代わって、ペロトヴィッチ監督は記録の意義と彼の存在についてこう説明する。
 
「阿部という選手は素晴らしいプレーヤーであると同時に、素晴らしい人間性を持っている。その阿部が500試合を達成したというのは、監督として非常に喜ばしいことであり、彼のような選手とともに、仕事ができることに私は幸せを感じている。どの指導者が来てもプレーできるのは、彼のプレーヤーとしての質の高さを示しているし、(この記録は)どの監督の下でも重宝されてたことの証だろう」
 
「彼のようなプレーヤーが日本にいることは、日本のサッカー界において、すべての人の見本になる。そして、彼が浦和でプレーすることはサポーターにとって誇りであると思うし、彼がプレーしている姿を見られるのは、我々にとって素晴らしいことだ」
 
 阿部自身、はJ1初出場とJ1初ゴール(99年4月10日の神戸戦)は今でも覚えているという。
 
「デビュー戦はVゴール負けでしたね。(89分に)スコルテンとの交代で途中出場した。マークの受け渡しがはっきりしなくて、播戸(竜二/現・大宮)さんにやられたのを覚えています。初ゴールはミスキックが入っちゃった感じ(笑)」

次ページ「監督が喜べるような結果を出したいし、それをモチベーションにしたい」。

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