【連載】蹴球百景vol.2「わが愛しのスタジアム『ムサ陸』」

2016年09月29日 宇都宮徹壱

東京武蔵野シティFCのJ3ライセンス交付は見送りに…。その理由は?

東京武蔵野シティFCが本拠とする武蔵野市陸上競技場。通称ムサ陸。スタジアムの設備不足を理由に、クラブにJ3ライセンスは交付されなかった。写真:宇都宮徹壱(Musashino, Tokyo 2016)

「宇都宮さんは普段、どのクラブを応援しているんですか?」
 
 時々このような質問を受けて答えに窮することがある。この仕事を長く続けているが、実は私自身、これといって応援し続けているクラブがない。いや、本当は「そういうクラブがあってもいいな」とは思うのだが、愛情が向かう先が見つからないのだ。人生のほとんどを東京で暮らしているので「郷里のクラブ」は持っていないし、今さらFC東京やヴェルディを応援するのも、何だか違うような気がする。
 
 その代わり、というわけではないが「好きなスタジアム」あるいは「プライベートでよく行くスタジアム」というのはある。JFLの東京武蔵野シティFCの本拠地、武蔵野陸上競技場(通称ムサ陸)だ。東京・小金井市にある私の自宅からムサ陸までは、自転車でおよそ20分。もちろん取材で行くこともあるが、妻を連れ立ってプライベートで観戦することも多い。ちなみに妻は年間パス保持者で、同伴者である私は当日券1000円のところを800円でJFLの試合を観戦することができる。
 
 ムサ陸に通うようになったのは、わが家が小金井市に引っ越した07年からである。この年、ムサ陸をホームとしていた横河電機サッカー部は、いち企業に依存しないクラブへの転身を図り、『横河武蔵野FC』と名称変更して再スタートを切ったばかり。この思い切った決断は、結果として吉と出る。翌08年にはホームゲームの平均入場者数が1000人を突破。さらに09年には、クラブ最高成績となるJFL2位に上り詰めた。私たち夫婦がムサ陸に通うようになったのは、まさに武蔵野というクラブが「地域に密着したクラブ」として、ささやかな発展を遂げていた時期と重なる。
 
 もっとも、私自身はムサ陸には通うけれど、武蔵野というクラブを熱心に応援していたわけではない。むしろ私の関心事は、もっぱら武蔵野の対戦相手に向けられていた。その多くは、かつて私が地域リーグ時代に取材したクラブである。それまで新幹線や飛行機で出向いていったのが、彼らがJFLクラブとなったことで、今度は向こうからわが地元のスタジアムに来てくれる。自転車を20分ほど走らせただけで、かつて取材したクラブ関係者やサポーターと旧交を温めることができるのだ。その意味でも、ムサ陸はとても得難い存在であった。
 
 そんなムサ陸で活動を続けてきた武蔵野であったが、今季から企業名を外し、さらに「東京」と「シティ」を加えた新たなクラブ名でJ3を目指すことを宣言した。これまでは「上を目指さないクラブ」として活動を続けてきたが、J3創設以降は目に見えて存在意義が薄れ、ジリ貧化が進んでいるJFLに留まることにクラブ側は危機感を覚えるようになった。いわば「止むに止まれぬ事情」により、百年構想クラブとなった武蔵野であったが、今月20日のJリーグ理事会ではJ3ライセンスの交付は見送りとなっている。
 
 見送りの一番の理由は「スタジアムが規定を満たしていない」というものであった。座席椅子があるのはメインスタンドのみ。電光掲示板もなければ夜間照明もない。加えて、選手の導線が確保できない構造となれば、どう考えてもJリーグの開催は不可能だ。ホームタウンの武蔵野市は、老朽化したムサ陸の改修を示唆しているとも伝えられるが、いずれは基準を満たすスタジアムを求めてこの地を離れてしまうかもしれない。地元民としては、ムサ陸で全国リーグが楽しめる環境が今後も続くことを、密かに願うばかりだ。
 
宇都宮徹壱/うつのみや・てついち 1966年、東京都生まれ。97年より国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。近著に『フットボール百景』(東邦出版)。自称、マスコット評論家。公式ウェブマガジン『宇都宮徹壱ウェブマガジン』。http://www.targma.jp/tetsumaga/
 
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