【指揮官コラム】カターレ富山監督 三浦泰年の『情熱地泰』|女子レスリングの吉田選手は「敗者」なのか?

2016年08月30日 サッカーダイジェストWeb編集部

プロは結果で示さなければ失敗とみなされる。

ホームでの鳥取戦で快勝し、試合後にサポーターと握手する三浦監督。試合までの準備が報われる瞬間だ。(C) J.LEAGUE PHOTOS

 人間は同じ物を見ても違う感じ方をする。立場が違えば、見え方も違ってくる。対象の好き嫌いによっても違うのであろう。
 
 そして、それまでの生い立ち、どのような人生を歩んで来たのかによっても見え方は変わる。物事をポジティブに前向きに受け止める人のモノの見方とネガティブに後ろ向きに捉える人の見方では、同じ目の前のモノ、出来事への見え方は大きく変わってくる。
 
 これは当たり前の事なのか?
 
 サッカーの世界にも、同じようなケースがある。
 
「良いサッカー」と言うが「良い」とはどういうことなのか? その解釈も人によって違ってくる。
 
 プロの世界で、最も分かりやすい基準とされるのは「数字」だろう。簡単に言えば結果だ。その場合、「勝つ」=「良い」なのであろう。
 
「エレガントなサッカー」、「コレクティブなサッカー」、攻撃に人数を掛けて積極的にリスクを冒して攻めるサッカーをしても、シーズンの3分の2を負けてしまうチームは良いチームとは言えない。
 
 毎日どんな努力をしても、プロは結果で示せなければ失敗とみなされる。誰もそんな努力は知ったものか――。興味もない。
 
 努力は、あくまで"陰の努力"として、それを隠して結果のみを見せてほしいと周りは思う。それが本音であろう。アマチュアではないのだから……。
 
 たいていの場合、プロの世界では導き出された結果によって、良いか悪いかが決定される。これは残念なことだが本当のことだ。
 
 勝てば努力した。負ければ努力が足りない。勝てば良いトレーニングをした。負ければトレーニングに問題がある。勝てばリラックスして良い雰囲気だ。負ければ緩んだ雰囲気、氣持ちが入っていない、と言われる。
 
 あるいは値段を見てこの絵は良い絵だと言い、売れたのを見て良い商品と言う。その結果を見て、評価者は努力していると言う。
 
 そこには「心」など存在しない。
 
 結果から逆算して良いか悪いかを判断する。まるでプロセスなど見ない、見ようとしないかのようで、こうした立場からは結果だけ見れば充分なのであろう。

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