心残りは?「何もない」。充実感に満ちた至福の4年間。スキッベ監督が誰よりも楽しもうとしていたからなんだろう

2025年12月13日 寺田弘幸

退任の経緯を包み隠さず話す

底なしの“サンフレ愛”。スキッベ監督が退任会見で広島での数々の思い出を語った。写真:寺田弘幸

 4年間、サンフレッチェ広島を指揮したミヒャエル・スキッベ監督の退任会見が、12月12日に広島市内のホテルで行なわれた。退任が決まった経緯や日本で過ごした日々の思い出が語られた。

「このクラブは本当に素晴らしい人たちばかりでした。コーチ陣も選手も素晴らしく、素晴らしい街で、素晴らしいファンに囲まれて、本当に充実した、非常に実りのあった4年間だったと思います。ここで体験したことは、これからも私の中に残り続けるだろうし、これからもサンフレッチェのことが常に気にかかる、そういう4年間になりました」

 そう語って始まった会見は、退任を決めた経緯に質問が移ると、スキッベ監督は包み隠さず話した。

「最終的な決断はクラブがしたと思っています。プレシーズンの宮崎キャンプで久保(允誉)会長と食事をした時、『2年、3年、延長しようじゃないか』という話があったんですけど、その時の自分の気持ちとしては、もう4年間も自分の国を離れることになるし、まだシーズンも始まったばかりで、そういうことを決めるべき時期じゃない。国に戻りたい気持ちも若干ある。そういう話をしてました。

 それから素晴らしいシーズンを過ごしていたんですけれど、手違いがあってACL2の敗退が決まりました。出場資格がない選手を出場させてしまったミスが起こって敗退したことに対して、自分と久保会長と強化部との間に、意見の相違があったことは間違いありません。

 それまで会長とはお互いに良いコミュニケーションが取れていました。長くても2か月に一度のスパンで食事をしていたんですけど、それ以降は会う機会がなく、久保会長と次に会ったのは天皇杯のヴィッセル神戸戦に敗れた後です。そこでお互いに別の道を行こうという話をされました。その際はいつも通り、リスペクトのある素晴らしい会話だったと思っていますし、久保会長をはじめ、これからも続いていく新しいチームにはこれから頑張っていってほしいと思ってます」
 
 雨野裕介強化本部長が辞任する事態に至ったACL2の敗退が禍根となったことを明かしたが、スキッベ監督が広島で過ごした4年間の日々が素晴らしかったという思いに偽りはない。

 4年間で最も印象に残った出来事には、1年目のルヴァンカップ決勝を挙げた。

「本当に毎試合が拮抗した試合だったので、本当に良いシーンがたくさんあったと思います。ただ、その中でも最初の年の天皇杯の決勝で甲府に敗れて、そこから1週間で立て直して臨んだルヴァンカップの決勝で、本当に最後の最後に2点を取って優勝した試合は一番印象に残っています」
 

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