J2優勝という使命感。順風満帆なシーズンではなかったが...山口蛍が回想「できることの最低限はやったつもり」【長崎】

2025年11月30日 元川悦子

「本当に優勝しか考えていなかった」

長崎のJ1昇格に尽力した山口。怪我で離脱する時期もあったが、その存在感は絶大だった。写真:福冨倖希

 最終節までもつれにもつれたJ1昇格レース。第37節終了時点で首位に立ったV・ファーレン長崎は、11月29日の敵地での最終節・徳島ヴォルティス戦で引き分け以上なら、J2優勝と8年ぶりのJ1昇格を手中にできるはずだった。

 しかしながら、相手も自動昇格の可能性を残していたこともあり、前半から凄まじい圧を受けて主導権を握られた。41分には前節・RB大宮アルディージャ戦でクラブ歴代最多ゴール記録を更新した渡大生の通算50ゴール目が生まれ、長崎は窮地に追い込まれる。

 それでも0-1なら2位は確保できる状況で試合を折り返したところ、他会場の途中経過により、長崎は一時的に3位転落を強いられた。

 キャプテンの山口蛍は他会場の経過は知らなかったようだが、「絶対に優勝がマスト」という強い思いを胸に巻き返しを図っていた。そして迎えた68分、自身のサイドチェンジが左ウイングバックの笠柳翼に通り、背番号33が凄まじいドリブル突破から折り返したところに翁長聖が詰め、何とか1-1に追いつくことに成功した。

 長崎にしてみれば、もう1点を奪えていれば、目標であるJ2優勝が叶うはずだった。が、1-1のままタイムアップの笛。最終的には2位でフィニッシュ。長崎から駆け付けたゴール裏のサポーターが歓喜に包まれるなか、山口は淡々とした様子で仲間を労った。その表情からは昇格の喜びよりも、不完全燃焼感が色濃く窺えた。
 
「僕は本当に優勝しか考えていなかったんで。それをみんなに押し付けるつもりはなかったけど、『絶対優勝しなきゃいけない』と考えてた選手は少ないと思ってて、『昇格がマスト』という意識でいたと思う。でも自分はJ2優勝という使命感の中でずっとやってきたんで、試合途中に引き分けでも仕方ないなと切り替えなきゃいけなくなったのは、少し残念な部分もあります」と本人は本音を吐露した。

 日本代表として2014年ブラジル大会、18年ロシア大会のワールドカップに参戦。24年まで在籍したヴィッセル神戸ではキャプテンとしてJ1連覇、天皇杯制覇に貢献してきた男は、今季に長崎に移籍。カテゴリーが下がるクラブに赴くというのは、大きなチャレンジに他ならなかった。

 ジュビロ磐田の安間貴義監督も「蛍君はこのリーグ(J2)にいちゃいけない選手」と語ったことがあったが、誰もがそう感じていただろう。

 そこにあえて身を投じ、「これまでのキャリアで積み重ねてきた経験値をすべて注ぎ込んで長崎を勝たせる」という強い自覚を胸にシーズンに挑んだ。が、山口自身としては大きな達成感を得られたというわけではなかったようだ。

「全然、順風満帆なシーズンじゃなくて、監督交代もありながら、一時は昇格が難しいくらいの勝点差が開いていた。個人的にも怪我で離脱した時期があって、その時にチームも苦しくて、自分に何ができたかと言われると分かんないけど、自分がその時にできることの最低限はやったつもりです」と、彼自身も苦しかった戦いを静かに振り返る。
 

次ページ若いメンバーに大きな影響を与えたのも確かだろう

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