「前例のないことだ」ヤマルの招集を巡るスペイン代表とバルサの“衝突”はなぜ起きたのか。番記者が明かす舞台裏【現地発】

2025年10月17日 エル・パイス紙

最初に火をつけたのはバルサのフリック監督だった

10月シリーズのスペイン代表メンバーに選出されたヤマル。(C)Getty Images

 最終的にラミネ・ヤマルは休養を取ることになった。10月3日、バルセロナは"10番"がチャンピオンズリーグのパリ・サンジェルマンとの激戦を経て、恥骨の痛みを再発させ、2~3週間の離脱となることを発表した。

 この結果、ヤマルは2日後のセビージャ戦を欠場。同日の午前に10月のインターナショナルウィークでジョージア代表、ブルガリア代表とのワールドカップ欧州予選に臨むスペイン代表メンバーに選出されていたが、そのバルサの医療報告書を受けて抹消となった。

 ヤマルの招集見送りを巡る協議は、バルサとスペインサッカー連盟(RFEF)の両機関の事務レベル、そしてベンチ同士で行われていた。しかし、完全に話し合いはまとまらなかった。ゴタゴタを経てこのシリーズを欠場することになったが、今なお両者の間では、非難の応酬が続き、事態は複雑化している。

 最初に火をつけたのは、バルサのハンジ・フリック監督だった。9月13日の記者会見で、9月シリーズにおけるスペイン代表のルイス・デ・ラ・フエンテ監督の酷使を批判した。

 しかし、RFEFは黙ってはいなかった。公に反論することはなかったが、本部があるラス・ロサスから「ヤマルのフィジオはバルサでも代表でも同じ人物だ。両機関の間に連絡がないとはバルサは言えない」と意義を唱える声が上がった。
 
 バルサの関係者もデ・ラ・フエンテの起用法に不満を抱いていたが、あくまで内部で処理する考えだった。それが、フリックが公に怒りを表明したことで、難しい立場に追い込まれ、SD(スポーツディレクター)のデコが、代表で同職を務めるダビド・カランカと話し合いを重ね、緊張を和らげた。しかし今度は、デ・ラ・フエンテが台本から外れた。

「フリックとの間に何の対立もない」と前置きした後、「ただ彼の発言に驚いた。なぜなら彼は代表チームの監督だった。しかし彼にはその共感がなかった」と不満を口にした。

 デ・ラ・フエンテのこの反論は、ラス・ロサスだけでなく、バルサのトレーニング施設があるサン・ジョアン・デスピでも驚きをもって受け止められた。バルサとRFEFの優先事項は、両監督間の舌戦ではなく、ヤマルの出場時間の管理だった。デコとカランカが再び連絡を取り合って協議。10月シリーズを欠場させることで合意した。
 

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