動き回る選手は技術不足――偏見の“被害者”となったジョッタ。アトレティコでは失格も…リバプールでは「成功の象徴」に【現地発】

2025年08月12日 エル・パイス紙

「ピッチ外では地味な選手だった」

7月3日に交通事故で急逝したジョッタ。(C)Getty Images

 2010年にリバプールを買収したフェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)が直面した最大の課題は、資産に限りがある低迷した名門を、魅力的なフットボールを展開することで、最も裕福なライバルクラブと肩を並べる競争力のあるマシーンに変えることだった。オーナーのジョン・ヘンリーと経営陣は、ほぼ不可能に近い方程式を探した。

 彼らはいくつかの要素を組み合わせることで、その答えを見つけた。一部は、金融業界から取り入れられた「定量分析」モデルに基づいていた。しかし、より重きが置かれたのは、プロジェクトに参画したコンサルティング会社の専門家たちが「定性分析」と呼ぶものだった。

 データの流れは、過去30年間のフットボールの偉大な現象を研究してきたアナリストたちの「臨床的な目」で検証された。その際に重視されたのはデータよりも人だった。

 定性分析の専門家たちが投げかけた質問は過去を指していた。ヨハン・クライフとリヌス・ミケルスが1970年代初頭にアヤックスで王朝を築いた時、何をしたのか? 資金不足で、例えばセルヒオ・アグエロ(元マンチェスター・シティ)のような大物ストライカーを獲得することができなかったリバプールは、足元でボールを収めることも、裏への抜け出しでパスを呼び込むこともできるアタッカーに賭けた。参考にしたのはクリスト・ストイチコフだ。
 
 80年代にブルガリアリーグで頭角を現した彼は、高速スプリントを繰り返し相手DFの裏を抜け出すプレーを引っ提げてバルセロナに加入すると、見事なパフォーマンスを披露し、バロンドールを受賞した。モハメド・サラー、サディオ・マネ、ルイス・ディアス、そしてディオゴ・ジョッタといったアタッカーはこのストイチコフ・モデルに則って獲得した新戦力だ。

 ジョッタはピッチ外では地味な選手だった。しかしスパイクを履くと一転パッショナルになった。利他的で、自己犠牲精神に富む。野心家でありながら虚栄心はなく、疲労困憊するまで走り続けた。だからこそ誤解の対象にもなった。

 フットボールにおいて動き回る選手はファンや一部のコーチからクオリティが不足していると捉えられる傾向にある。ジョッタは足元の技術も兼ね備えていたが、すぐにその偏見の被害者となった。
 

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