「バラ色の人生ではなかった」イニエスタが自身のうつ病について激白。きっかけは“友の死”「最後まで練習を続けられなかった」【現地発】

2025年06月28日 エル・パイス紙

「サッカーが内面の痛みを和らげてくれた」

うつ病の経験について語ったイニエスタ。(C)Getty Images

 アンドレス・イニエスタは、サッカーをプレーするように生きている。ボールを扱うのと同じように、ゆっくりとしたペースと優しさで話す。常に前を向く決意を持ち、仕事を完了し、始めたことを最後までやり切ることをモットーにしてきた。

 プロサッカー選手になるために、自らの意思で家を離れたのは12歳の時。そのまた12年後の24歳の時に予期せぬ暗闇に襲われた。現在、彼はその恐怖と疑念について語っている。バルセロナのファンがスタンフォード・ブリッジでのゴール(08-09シーズンのCL準決勝、チェルシーとの第2戦)を叫び、スペイン中が彼のもう一つの生涯のゴール——W杯南アフリカ大会でスペイン代表を世界一に導いたゴール—―を祝っている間、うつ病が彼を襲った。

 きっかけは、2009年に当時エスパニョールに所属していた友人のダニエル・ハルケの急死だった。その経験については、彼の著書『La mente tambien juega(心もプレーする)』(エスパサ社、2025年)に綴られている。

「私は常にそのことについて話すことに抵抗はなかった。バラ色の人生ではなかったことについて話すことに恥じらいはなかった。なぜならそれもまた私の一部だからだ」と彼は告白する。

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――著書では、12歳で家族を離れ、ラ・マシアに移り住むことを決めた経緯を振り返っています。その別れと決断の重さが、あなたのキャリアにどのように影響しましたか?

「2つの側面があると思う。1つはスポーツと家族に関するもので、これは最高の形で進んだ。もう1つはより個人的なもので、おそらく私だけでなく家族にも影響を与えた。別れやそのほかいろいろなことと向き合わなければならなかった。誰だってそのような大きな決断を下せば、最終的に何らかの代償を払わなければならないと確信している」

――あなたが「暗闇」と呼ぶその時期、うつ病を患っていたにもかかわらず、ボールを蹴ることで常に救いを見出したと告白しています。あなたのサッカーへの愛は、アンドレ・アガシの「テニスが嫌い」という言葉や、競技から距離を置くことで心の平安を得た人々とは一線を画しています。その2つの部分をどのように切り離すことができたのでしょうか?

「なぜなら、サッカーは私の人生であり、情熱であり、最も自分を表現できる方法であり、最も幸せだった場所だからだ。それが、私の中にあった内面の痛みを和らげてくれた。その痛みは外に出さず、何らかの形で隠そうとしていた。その二つの世界はそうやって共存していた。長い間サッカーが勝っていた。しかし、時が経つにつれ、少しずつ逆転し、その内面のもう一つの世界が『おい、私はここにいるぞ』と声を上げ始めたんだ」
 

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