【リオ五輪】「ブラジル戦で失うものはない」という室屋がネイマールに挑戦状!?

2016年07月01日 白鳥和洋(サッカーダイジェスト)

「オリンピックがあったからリハビリも頑張れた」。

リオ五輪代表に選ばれた室屋。「アピールするチャンス」と燃えている。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

 メンバー発表前は、少し不安があったそうだ。「昨日は『どうなるかなあ?』という想いはありました。今朝も緊張していたかは分からないですが、(寝ている間に)2、3回、目が覚めました」。
 
 今年1月、リオ五輪のアジア最終予選では粘り強い守備と豊富な運動量、加えて優れたチャンスメイクで日本の本大会出場に尽力した。しかし2月初旬、明治大のサッカーを退部し、在学したままプロ契約したが、直後の宮崎キャンプで左足を骨折。全治4か月という重傷で、「オリンピックに間に合わないんじゃないかという不安はあった」。
 
「2月に怪我をした時は、僕を送り出してくれた大学側に申し訳ないと思った。大学のサッカー部を途中退部してプロに行った以上、オリンピック出場は果たしたかった。みんなにも『オリンピックに行ってほしい』と言われましたしね」
 
 そうした期待があったから、「リハビリも頑張れた」。
 
「医者からは間に合うと言われていましたが、ただやっぱり、最後の南アフリカ戦だけで選んでくれるのかは分からないし、トゥーロンにも間に合わなかったので、少しの不安はあった。行けると信じてはいましたが、見込みとかはあったわけではない」
 
 期待と不安の両方を抱えながら、コンディションを上げて行ったサイドバックの室屋は6月12日の藤枝戦(J3)で待望の復帰。70分からの途中出場ながら、Jリーグデビューを飾った。
 
「もっと動けないかなと思っていましたが、復帰してからは早くコンディションを上げられた。それはホンマに、スタッフのおかげ。周りの人の支えがあって、ここまでも来られた。感謝しかないです」
 
 そして7月1日、4か月というリハビリを乗り越え、奇跡の復活を遂げた室屋は大学との約束──オリンピック出場を果たすことになる。
 
「国を背負って、オリンピックの舞台で戦えることを誇りに思います。ただ、選ばれてホッとするのではなくてしっかり結果を出したい。4か月リハビリしてきたなかで、監督も選びにくかったと思いますけど、選んでくれて感謝していますし、その意味でも期待に応えたい」
 

次ページ東京の室屋から世界のMUROYAへ──。

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