長谷部誠が示した“戦う”の極意。「走っている=戦っている」ではない【コラム】

2025年04月12日 小宮良之

走り過ぎがチームを自滅に追い込むこともある

長らく日本代表の中盤を支えた長谷部。(C)SOCCER DIGEST

 「戦う」

 それはサッカー界では、今や一つの定理のように語られるようになっている。

 ピッチで戦う姿勢を示す、それは例えば、球際で負けず、惜しまずに走り、体を投げ出すようにボールに食らいつくことになるだろう。その勇ましい行動は攻守を優位にし、味方をも鼓舞できる。そして集団全体の戦闘力を高め、「戦う」を最大限に表現することで、勝利をつかめるのだ。

 戦わない者に勝利はない、と言ったところか。

 それは正論である。

 しかしながら、「戦う」という行動は絶対的に固定化されたものではないだけに、人それぞれに委ねられ、そのせいで誤った解釈や理解も生まれやすい。

 例えば、長い距離を懸命に走ることが賛美されることがある。今や1試合の走行距離やスプリント数がすかさずデータ化されることで、数字から「走っている=戦っている」と答えを出してしまうことがある。ただ必ずしも、その「戦う」はチームに有益ではない場合もあるのだ。

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 中盤の選手を例に挙げたい。

 彼らは確かに走行距離が出やすい。実際、カバーするスペースが多く、まったく走れない選手は問題外だろう。しかし走り過ぎが、チームを自滅に追い込むこともある。

 例えば相手ボールに対し、フルオートで反応し、プレッシングに行くタイプは危険である。その行為自体を称賛されると、さらに「戦う」を示すように、スペインで言われる「首を失ったニワトリ」のようになる。すなわち、バックラインの前のスペースをカラにして、相手ボールをそこら中、プレスに回るのだ。

 それは「戦う」という表現なのだろうが、敵は手ぐすねを引き、味方が脅威を感じることになるだろう。なぜなら、センターバックの前のスペースを明け渡すことは、砦をカラにして攻めかかって奪われてしまうも同然。プレスをかいくぐられた場合、絶体絶命のピンチになる。

 センターバックは、前に人がいない状況で守ることは、堀も柵も土塁もなく、騎馬隊に攻めかけられるのと同じ。正面攻撃をもろに受ける近い。相手はパス、ドリブル、シュートのあらゆる選択肢の中で、能動的に動ける。それに身を晒すことは失点を意味するのだ。

 日本人のボランチでは、長く代表でもプレーした長谷部誠が最も戦術的な知性を感じさせた。常に味方を動かし、ポジション保全を完璧にし、自分が出ていく時は必ずカバーするような仕組みを整えていた。自分たちが主導権を持って守り、不利にしなかった。それによって、攻守の両輪を回していた。これぞ、「戦う」の極意と言えるだろう。

「戦う」

 その意味をはき違えてはならない。

文●小宮良之

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