想像を超えるドラマを生んだ「別格」なふたりのレジェンド
ナポリ時代のマラドーナとユベントス時代のバッジョ。(C)Alberto LINGRIA,Getty Images
マラドーナ、バッジョ、ジダン、トッティ、デル・ピエロ……。華麗な技でイタリアの観客を魅了しつづけてきたファンタジスタたちだ。とりわけセリエAが最も華やかだった1980年代~2000年代前半には、そうした一流のファンタジスタがひしめき合っていた。では、過去50年の歴史で、最も優雅で芸術的だったのはだれか。ファンタジスタとしての価値をここに格付けする。
※選出対象
・1975-76シーズン以降にセリエAでプレー
・現役引退済み
―――◆―――◆―――
ファンタジスタ——。その言葉を聞くことは、いまではめっきり少なくなった。
あえて日本語で直訳すると「想像力の人」。意外性とスペクタクル性に満ちたプレーで観る者を驚かせ魅了する、想像力と創造性に溢れたプレーヤーに対して特権的に与えられてきたのがこの呼称だ。しかし、パワー、スピード、インテンシティーがすべてを支配するモダンフットボールの世界に、そんな優雅で芸術的なプレーヤーの居場所はもはや残されていない。あのリオネル・メッシですら、ファンタジスタとして括ることに違和感を覚えるのは、彼のプレーがあまりに効率的で、無駄や"遊び"が削ぎ落とされているからかもしれない。
それでは、ファンタジスタという言葉が最も似合うのはだれだろうか。
セリエAの歴史を振り返れば、ファンタジスタの全盛期はやはり、1980年代初頭~2000年代初頭までの20年間だ。80-81シーズンに、十数年禁止されていた外国人選手の獲得が解禁されたことで、ジーコ、ミシェル・プラティニ、ディエゴ・マラドーナといったサッカー史に名を残す偉大なファンタジスタが主役を演じ、イタリアからもロベルト・バッジョ、ジャンフランコ・ゾーラ、ロベルト・マンチーニ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、フランチェスコ・トッティという芸術的な「10番」たちが生まれた時代である。その中でも「別格」だったのは、マラドーナとバッジョだろう。
※選出対象
・1975-76シーズン以降にセリエAでプレー
・現役引退済み
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ファンタジスタ——。その言葉を聞くことは、いまではめっきり少なくなった。
あえて日本語で直訳すると「想像力の人」。意外性とスペクタクル性に満ちたプレーで観る者を驚かせ魅了する、想像力と創造性に溢れたプレーヤーに対して特権的に与えられてきたのがこの呼称だ。しかし、パワー、スピード、インテンシティーがすべてを支配するモダンフットボールの世界に、そんな優雅で芸術的なプレーヤーの居場所はもはや残されていない。あのリオネル・メッシですら、ファンタジスタとして括ることに違和感を覚えるのは、彼のプレーがあまりに効率的で、無駄や"遊び"が削ぎ落とされているからかもしれない。
それでは、ファンタジスタという言葉が最も似合うのはだれだろうか。
セリエAの歴史を振り返れば、ファンタジスタの全盛期はやはり、1980年代初頭~2000年代初頭までの20年間だ。80-81シーズンに、十数年禁止されていた外国人選手の獲得が解禁されたことで、ジーコ、ミシェル・プラティニ、ディエゴ・マラドーナといったサッカー史に名を残す偉大なファンタジスタが主役を演じ、イタリアからもロベルト・バッジョ、ジャンフランコ・ゾーラ、ロベルト・マンチーニ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、フランチェスコ・トッティという芸術的な「10番」たちが生まれた時代である。その中でも「別格」だったのは、マラドーナとバッジョだろう。
「意外性とスペクタクル性」という観点で見れば、マラドーナを超えるプレーヤーはいない。彼と比べれば、同じ時代を過ごしたジーコやプラティニのプレーは、合理的にすら見える。単にトリッキーで華麗なテクニックを駆使する"マジシャン"としてなら、ロナウジーニョも引けは取らないかもしれない。
しかし、マラドーナにはそれに加えて、我々の想像を超えたドラマを生み出すカリスマ性が備わっていた。86年のメキシコ・ワールドカップ(W杯)。たった5分の間に「神の手ゴール」と「5人抜き」という、観る者を唖然とさせるふたつの"スーパーゴール"を決めて見せた準々決勝のイングランド戦は、その象徴だ。
バッジョは、マラドーナのようにとんでもなく派手なプレーを見せたわけではないが、パスを引き出してゴールに向かうまでのアイデアの豊富さと、きわめて繊細なテクニックが特別だった。キックフェイントを駆使して迫り来るDFを次々と抜き去り、最後はGKにまで尻もちをつかせてから悠々と流し込む。さらに、バッジョにとっての美学であるかのように、シュートは必ずと言っていいほどサイドネットを揺らした。そして彼もまた、特別なドラマを生んだファンタジスタだった。自らのゴールでイタリアを決勝に導きながら、最後のPK失敗で準優勝に終わった94年アメリカW杯は、バッジョを孤高の存在たらしめている。
ふたりのうち、どちらを史上最高のファンタジスタに選ぶかは、読者の皆さんの判断にお任せしたい。
しかし、マラドーナにはそれに加えて、我々の想像を超えたドラマを生み出すカリスマ性が備わっていた。86年のメキシコ・ワールドカップ(W杯)。たった5分の間に「神の手ゴール」と「5人抜き」という、観る者を唖然とさせるふたつの"スーパーゴール"を決めて見せた準々決勝のイングランド戦は、その象徴だ。
バッジョは、マラドーナのようにとんでもなく派手なプレーを見せたわけではないが、パスを引き出してゴールに向かうまでのアイデアの豊富さと、きわめて繊細なテクニックが特別だった。キックフェイントを駆使して迫り来るDFを次々と抜き去り、最後はGKにまで尻もちをつかせてから悠々と流し込む。さらに、バッジョにとっての美学であるかのように、シュートは必ずと言っていいほどサイドネットを揺らした。そして彼もまた、特別なドラマを生んだファンタジスタだった。自らのゴールでイタリアを決勝に導きながら、最後のPK失敗で準優勝に終わった94年アメリカW杯は、バッジョを孤高の存在たらしめている。
ふたりのうち、どちらを史上最高のファンタジスタに選ぶかは、読者の皆さんの判断にお任せしたい。