「もう1点、取りに行けたかもしれないのに諦めちゃった」
長年、日本代表で活躍した井原氏。(C)SOCCER DIGEST
元日本代表DFの井原正巳氏が、鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルで"ドーハの悲劇"を振り返った。
1993年に行なわれたアメリカ・ワールドカップのアジア最終予選で、当時は26歳だった井原氏は守備の主軸として活躍。ハンス・オフト監督が率いる日本代表は、W杯初出場の目前まで迫っていた。
しかし、イラクとの最終戦で終了間際に相手のショートコーナーから追いつかれて2-2の引き分けに終わり、W杯への切符は掴めなかった。
いわゆる"ドーハの悲劇"について井原氏は「振り返れないよね。あまり覚えていないけど」としつつ、オフトジャパンでは逃げ切る意識が統一されていなかったと明かす。
「(追加)点を取りに行くのか、それとも時間を上手く使うのか。そういうのが、ちょっと曖昧でした。もちろん今なら、時間を上手く使いながら、そのまま逃げきるぞ、相手コートでボールを繋いで、となると思うんだけど、当時はそういう余裕が全くなかった。交代で入ってきた選手が、そういうメッセージを持ってきてくれるわけでもなかった」
試合終了が近づき、「電光掲示板を見て、時間がゼロだったのは見えていたから、あと何分ロスタイムがあるんだろう、もう終わりじゃないの、というのもあった」。そして同点弾を決められた直前にタイムアップも期待していた。
「(相手の)コーナーになった時に、これでもう終わりじゃないのと思ったんですよ。ワールドカップに行けるじゃん、ぐらいの感じは、ちょっとあった。普通、ああいう時間がない時、相手は早く蹴ってくるっていう風に油断もあったと思うし、僕らが、もう終わりじゃないのという気持ちが、ショートコーナーで始めたところに、対応が遅れたのもあると思います」
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1993年に行なわれたアメリカ・ワールドカップのアジア最終予選で、当時は26歳だった井原氏は守備の主軸として活躍。ハンス・オフト監督が率いる日本代表は、W杯初出場の目前まで迫っていた。
しかし、イラクとの最終戦で終了間際に相手のショートコーナーから追いつかれて2-2の引き分けに終わり、W杯への切符は掴めなかった。
いわゆる"ドーハの悲劇"について井原氏は「振り返れないよね。あまり覚えていないけど」としつつ、オフトジャパンでは逃げ切る意識が統一されていなかったと明かす。
「(追加)点を取りに行くのか、それとも時間を上手く使うのか。そういうのが、ちょっと曖昧でした。もちろん今なら、時間を上手く使いながら、そのまま逃げきるぞ、相手コートでボールを繋いで、となると思うんだけど、当時はそういう余裕が全くなかった。交代で入ってきた選手が、そういうメッセージを持ってきてくれるわけでもなかった」
試合終了が近づき、「電光掲示板を見て、時間がゼロだったのは見えていたから、あと何分ロスタイムがあるんだろう、もう終わりじゃないの、というのもあった」。そして同点弾を決められた直前にタイムアップも期待していた。
「(相手の)コーナーになった時に、これでもう終わりじゃないのと思ったんですよ。ワールドカップに行けるじゃん、ぐらいの感じは、ちょっとあった。普通、ああいう時間がない時、相手は早く蹴ってくるっていう風に油断もあったと思うし、僕らが、もう終わりじゃないのという気持ちが、ショートコーナーで始めたところに、対応が遅れたのもあると思います」
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失点時に関しては「ボールが入っていく軌道は、一生忘れない」。何よりも直後の振る舞いを悔やむ。
「まず、やられて自分が倒れ込んだ。その後、まだロスタイムが、あと何秒あるか分からないけど、自分たちは、もうダメだと思って。どちらかというと、その後悔の方がある。もう1回やって、ボールを持って真ん中に行って、もう1点取りに行けば、行けたかもしれないのに、もう諦めちゃっていた。後から見た時に、それが悔しかった。それじゃダメだなと思ったんだよね」
あれから30年以上が経った今、94年のW杯出場を逃した要因を、井原氏はこう分析する。
「経験じゃないかと思う。ギリギリのところで勝ち切るための経験は、監督もスタッフも、最後の最後の経験した人は誰もいなかったし、選手も誰もしていなかった。したたかさみたいなものが、足りなかったと思う。まだ日本がワールドカップに行くのは早いよって、サッカーの神様がいるとしたら、そう言われていると思うしかなかったです」
その後、98年のフランス大会でW杯初出場を果たした日本。主将を務めていた井原氏は「日本のサッカーが成長したと思う」と実感。以降は7大会連続でW杯に出場しており、現在の森保ジャパンも26年の北中米W杯のアジア最終予選を順調に戦い、本大会行きに王手をかけている。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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「まず、やられて自分が倒れ込んだ。その後、まだロスタイムが、あと何秒あるか分からないけど、自分たちは、もうダメだと思って。どちらかというと、その後悔の方がある。もう1回やって、ボールを持って真ん中に行って、もう1点取りに行けば、行けたかもしれないのに、もう諦めちゃっていた。後から見た時に、それが悔しかった。それじゃダメだなと思ったんだよね」
あれから30年以上が経った今、94年のW杯出場を逃した要因を、井原氏はこう分析する。
「経験じゃないかと思う。ギリギリのところで勝ち切るための経験は、監督もスタッフも、最後の最後の経験した人は誰もいなかったし、選手も誰もしていなかった。したたかさみたいなものが、足りなかったと思う。まだ日本がワールドカップに行くのは早いよって、サッカーの神様がいるとしたら、そう言われていると思うしかなかったです」
その後、98年のフランス大会でW杯初出場を果たした日本。主将を務めていた井原氏は「日本のサッカーが成長したと思う」と実感。以降は7大会連続でW杯に出場しており、現在の森保ジャパンも26年の北中米W杯のアジア最終予選を順調に戦い、本大会行きに王手をかけている。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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