『サッカー小僧』のような自分にとっての信頼とは…
Jリーグ時代にも多くの仲間たちと信頼関係を築き上げた。固い絆は年月を経ても変わらない。(C) Getty Images
信頼関係とは昨日きょうでできるモノではない。
何かを築くとなれば、この『信頼関係』なくてはスタートしない。そして信頼関係とは簡単には得ることのできないモノでもある。
何かを築くとなれば、この『信頼関係』なくてはスタートしない。そして信頼関係とは簡単には得ることのできないモノでもある。
サッカーのクラブを創っていくのも、強いチームを創っていくのも、あるいはサッカーの世界でなくてもビジネスや政治の世界でも、『信頼関係』というモノなくして、成り立つ事はないのだと思う。
今年「還暦」の60歳を迎える自分が「信頼」の上に成り立つ関係をどう考えるかと言えば、また企業の世界で生きた人ともきっと違うであろう。
そして何歳になっても『サッカー小僧』のような自分にとっての「信頼」とは何かと言えば、共にボールを蹴った仲間は、先輩でも後輩でも同期でも僕には貴重な何物にも替え難い存在であり、『信頼』できる友である。それを同士と読んだり、戦友と読んだりもする。言い換えれば、絆、運命なのだと思う。
共にボールを蹴るとは? 同じチームで闘った高校時代の静岡学園の仲間はもちろん、対戦相手であるライバル校の選手もそうである。Jリーグ時代の同じチームメイトはいうまでもなく、相手チームの選手も同じである。
そしてJリーグ元年選手の僕にとって、同時代にサッカー界でつながりを持った人々は、仮に現役当時に選手としてピッチ上で会ったことはなくても"共にボールを蹴った仲"と表現できる、そんな仲間なのある。
だからと言って、サッカー部出身しか信頼してないかと言えば、それは違う。ボールを蹴ったことのない人でも信頼を感じる人はたくさん僕の周りにもいる。本当に信頼できる畑違いの人物も多い。逆に少し蹴った経験のある人の方が、信頼を裏切ったりするものだ。
2025年もあっという間に1か月が経つ。今年は巳年。年男。何と還暦、60歳。そして厄年らしい。凄い年になる。
普通、そんな年は「おとなしくしていろ!」なのであろうが…。
また努力が必要だ。信頼する人に信頼される。そんな幸せなことはない。まさしく『信頼関係』だ!