“1年間出場停止”のラモス瑠偉を救ったのは?「松木安太郎がいなかったら日本に残っていない」

2024年11月09日 サッカーダイジェストWeb編集部

「ボウリングを教えてもらって、ビリヤードも一緒にやってくれて...」

ヴェルディで大活躍したラモス氏。(C)SOCCER DIGEST

 元日本代表MFのラモス瑠偉氏が、鈴木啓太氏のYouTubeチャンネルで松木安太郎氏への感謝を語った。

 ブラジル出身のラモス氏は、20歳だった1977年に来日し読売クラブ(現・東京ヴェルディ)に加入。だが翌78年に試合でレッドカードを受けた際に、マッチアップしていた相手を追いかけ回す騒ぎを起こし、1年間の出場停止処分を受けてしまう。

 試合に出られない期間に、香港のチームからオファーがあった。条件が良く、給料は読売クラブの3倍。香港のサッカー熱は高く、当時の日本サッカーリーグよりも観客数もはるかに多かったという。
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 それでも、日本に残った理由はチームメイトの献身があったから。「松木安太郎がいなかったら日本に残っていない」とし、こう続ける。

「ホームシックにならないために、自分の大学の仲間を呼んでくれて。ボウリングを教えてもらって、ビリヤードも一緒にやってくれて、海に連れて行ってくれてスイカ割りも教えてもらった。その時、嬉しくて自分のなかで、いつか、この人たちに『あの時にカリオカ(ラモス氏の愛称)を香港かブラジルに行かせなくて良かったな』って言わせるぞ、と自分に言い聞かせた。ずっと。松木がいなかったら、香港に行っている」

 その後、ラモス氏はオートバイでの事故による大怪我を乗り越え、89年には日本に帰化。ヴェルディ川崎や日本代表の主軸として一時代を築いた。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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