【今日の誕生日】5月6日/セレソンの右SBの系譜を引き継ぐ技巧的ダイナモ――D・アウベス(バルセロナ)

2016年05月06日 サッカーダイジェストWeb編集部

バルサで全てのタイトルを取り尽くした男に欠けているのは…。

年齢的には大ベテランの部類に入りつつあるアウベスだが、しばらくはより円熟味の増したSBのプレーを見せてくれそうだ。 (C) Getty Images

◇ダニエウ・アウベス:1983年5月6日生まれ ブラジル・ジュアゼイロ出身
 
 バルセロナの右サイドを頻繁に上下し、攻撃選手顔負けの突破からパス出し、シュートを見せたかと思えば、守備では堅実かつ粘り強いプレーで相手攻撃選手を封じ込める。
 
 ダニエウ・アウベスの魅力は多岐にわたる。驚異的なスタミナ、技術、そして戦術理解力も非常に高く、常にチーム全体のバランスを取ることを忘れない。また、決して右サイドに張りつくだけでなく、必要に応じて中央に入り、攻守で効果的なプレーも見せる。
 
 そんなクレバーなSBは2001年、母国ブラジルのクラブ、バイーアでプロとしてのキャリアをスタート。ブラジルの多くのDFがそうであるように、少年時代は攻撃的な選手としてプレーしたが、父親の判断で早いうちにSBに転向していた。
 
 バイーア、そしてU-20ブラジル代表での活躍が、セビージャの目に止まり、02-03シーズン途中にリーガ・エスパニョーラに参戦。ファーストシーズンは9試合に出場した。
 
 03年夏にワールドユース(現U-20ワールドカップ)で優勝に大貢献したアウベスは、その後のシーズンでセビージャでも能力を発揮。ジュリオ・バチスタとのホットラインで多くのゴールを生み出した。
 
 このクラブでは、6シーズンの在籍期間で国王杯1回、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)2回などのタイトル獲得を経験。彼は攻撃的なSBとして、これらの勝利の原動力となった。
 
 在籍中、リバプールやチェルシーといったクラブへの移籍話が浮上するも実現せずにいたが、08年夏、ついにセビージャに別れを告げる。行き先はイングランではなく、同じスペインのバルセロナだった。
 
 入団会見時にはセビージャを思って涙を流したアウベス。前年には移籍が噂されながらも、開幕戦でアントニオ・プエルタが急死したことを受けて残留を決意するなど、彼の優しい人間性を示すエピソードは多い。
 
 ジョゼップ・グアルディオラが監督に就任したばかりのバルサは、ここから無敵のチームとして長い黄金時代に突入することとなるが、そのなかでアウベスはリオネル・メッシと右サイドのホットラインを形成し、攻撃を活性化させた。
 
 11-12シーズンに3-4-3システムが採用された時以外は、常に不動の右SBとして君臨してきたアウベス。ここまで、リーガ5回、国王杯2回、チャンピオンズ・リーグ3回、クラブワールドカップ3回という輝かしいタイトル歴を誇っている。
 
 また彼は、06年からA代表としてのキャリアも継続している。ワールドカップには10年南アフリカ大会から2大会連続で出場。10年大会ではMFとして3試合で、自国開催の14年大会では右SBのレギュラーとしてプレーした。
 
 セレソンでは07年のコパ・アメリカ、09、13年のコンフェデレーションズ・カップで優勝を経験。しかし、2度のワールドカップでは失意を味わった。33歳となった彼にまだ衰えは感じられないが、2年後に世界制覇を狙うチャンスは訪れるだろうか。
 
 セレソンの長い歴史においては、多くの右SBの名手が存在した。古くは圧倒的な守備力を誇った60年代以前のジャウマ・サントス、史上最強の誉れ高き70年W杯のチームをキャプテンとして率いたカルロス・アルベルト、最も魅力的だった82年W杯のチームで頻繁に攻撃参加を見せたレアンドロ……。
 
 さらには、86年W杯で突如出現して強烈なシュートを放ちまくったジョジマール、94年W杯で栄光のメンバーとなったジョルジーニョ、長くセレソンで君臨し、02年W杯で黄金のトロフィーを真っ先に掲げたカフーと、系譜は続いてきた。
 
 そして、攻撃力抜群だった10年W杯のマイコンの後を継いで、今、右SBに君臨しているのがアウベスである。バトンを次世代に引き継ぐ前に、世界一の称号を得たいところだろう。
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