退屈なフットボールに限界が来た
アトレティコで長期政権を築くシメオネ。(C)Getty Images
「試合に勝つのは、何も良いプレーをしたチーム、というわけではない。みんなは騒ぐが、ボールを持つことになんの意味があるのか? 自分たちが何をやっているのか、その確信を持っているチームこそが勝利を手にするのだ」
アトレティコ・マドリーを率いるディエゴ・シメオネ監督は、かつてそう言って憚らなかった。ボールポゼッションを完全否定。相手の持ち味を消し、焦りを誘ってのカウンターを信条としていた。
それは一つの正義だった。
なぜなら、シメオネが主張するように勝利は必ずしも論理的な結果ではないからだ。
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アトレティコ・マドリーを率いるディエゴ・シメオネ監督は、かつてそう言って憚らなかった。ボールポゼッションを完全否定。相手の持ち味を消し、焦りを誘ってのカウンターを信条としていた。
それは一つの正義だった。
なぜなら、シメオネが主張するように勝利は必ずしも論理的な結果ではないからだ。
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たとえば1986年のメキシコ・ワールドカップ、ディエゴ・マラドーナの"神の手"でアルゼンチンがイングランドを破ったように、理不尽な結末を迎えることもある。あるいは、グレーゾーンのファウルでPKを献上し、退場を命じられてしまい、数的不利で敗北するなど、ありふれた不運のストーリーだろう。不合理な結果は、世界中にいくらでも転がっている。
勝敗というのは、後からどのようにでも説明をつけられる。それがフットボールである。
しかし、ゲームに対するアプローチというのは存在している。「勝つために良いプレーをする」という原則で言えば、論理的なトレーニングに重点が置かれるべきである。そのロジックでは、シメオネのようにボールを捨てたサッカーは、たとえ勝ったとしても必ずどこかで報いを受ける。「勝てば官軍」という結果至上主義では、やがてプレーを劣化させ、選手の才能を萎ませるからだ。
シメオネは確信を持って、退屈なフットボールを志向し、勝利を重ねたが、限界が来た。
昨シーズン途中から、アルゼンチン人指揮官はプレーモデルを劇的に変えている。ボールプレーの仕組みを整え、パスの通路を作って、能動的な時間を増やした。カウンター攻撃だけでなく、主導権を握らないと、高いレベルで再現性のある勝ち方はできない、という結論に行き着いたのだ。
冒頭の発言を考えたら、180度の方向転換だろう。シメオネは良いプレーが勝利につながると確信した。その点、彼は自らの言葉を裏切っていない。
もっとも、良いプレーが必ずしも勝利に結び付くわけではないのが、フットボールの宿命だ。
勝敗というのは、後からどのようにでも説明をつけられる。それがフットボールである。
しかし、ゲームに対するアプローチというのは存在している。「勝つために良いプレーをする」という原則で言えば、論理的なトレーニングに重点が置かれるべきである。そのロジックでは、シメオネのようにボールを捨てたサッカーは、たとえ勝ったとしても必ずどこかで報いを受ける。「勝てば官軍」という結果至上主義では、やがてプレーを劣化させ、選手の才能を萎ませるからだ。
シメオネは確信を持って、退屈なフットボールを志向し、勝利を重ねたが、限界が来た。
昨シーズン途中から、アルゼンチン人指揮官はプレーモデルを劇的に変えている。ボールプレーの仕組みを整え、パスの通路を作って、能動的な時間を増やした。カウンター攻撃だけでなく、主導権を握らないと、高いレベルで再現性のある勝ち方はできない、という結論に行き着いたのだ。
冒頭の発言を考えたら、180度の方向転換だろう。シメオネは良いプレーが勝利につながると確信した。その点、彼は自らの言葉を裏切っていない。
もっとも、良いプレーが必ずしも勝利に結び付くわけではないのが、フットボールの宿命だ。