【今日の誕生日】4月9日/プレミアリーグ史に名を残すゴールの“神”――ファウラー(元イングランド代表)

2016年04月09日 サッカーダイジェストWeb編集部

今なお故郷のファンに愛され続ける歴代6位の偉大な点取り屋。

リバプールでは、国内2カップとUEFAカップを勝ち取った。リバプールを常に愛し、04-05シーズンの欧州制覇の際には、イスタンブールまで応援に駆け付けた。 (C) Getty Images

◇ロビー・ファウラー:1975年4月9日生まれ イギリス・リバプール出身
 
 1992年、サッカーの母国であるイングランでプレミアリーグがスタートして以来、国内外の世界的ストライカーがこの舞台に立ち、多くのゴールを生み出してきた。
 
 そんなハイレベルのリーグで、通算ゴール数が100を超えた選手は、現時点で24人。マンチェスター・シティのセルヒオ・アグエロは31節終了時点で95得点であり、間もなくこの大台に達するだろう。
 
 これが、150点以上となると、一気に絞られてわずか8人となる。そのなかに、ロビー・ファウラーも含まれている。
 
 リバプールに生まれ育った彼は、リバプールの育成組織で才能を磨き、18歳でプロデビュー。ファーストシーズンでいきなり28試合に出場して12得点を挙げた早熟の天才ストライカーは、すぐにファンのハートを掴んだ。
 
 左右両足で強烈かつ技巧的なシュートを放ち、キープ力にも優れ、空中戦にも滅法強い。そして周囲を使うことができる彼は、2年目からは連続して20ゴール以上をマークし、96年にはイングランド代表として初キャップを刻んだ。
 
 キャリア6年目の98-99シーズンには、早くも通算100得点を突破。凄まじいペースでゴールを重ねるファウラーを、リバプールのファンは"ゴッド(神)"と呼んだ。
 
 しかし、これだけの能力を擁する彼は当然ながら、ファウルを受ける機会は多く、そのこともあって怪我に倒れることが多くなる。90年代後半になると"ワンダーボーイ"マイケル・オーウェンやヘミール・ヘスキーの台頭もあり、出場機会は徐々に減っていった。
 
さらにファウラーの立場を悪くしたのは、彼の素行の悪さで、ピッチ内外でトラブルを起こした結果、2001年にはリーズに新天地を求めざるを得なくなった。
 
 しかし、都落ちともいわれた移籍によってファウラーは復調し、03年冬にはマンチェスター・Cに引き抜かれる。ここでも怪我に苦しんだり、女性スキャンダルで批判を浴びたりもしたが、05年2月に史上3人目となる通算150得点を達成した際には、一転して多くの称賛を受けた。
 
 05-06シーズンの途中、ファンの大歓迎を受けて愛するリバプールへの復帰を果たした彼は、07年まで在籍。その後、カーディフ・シティを経て、08年からブラックバーンで1シーズンを過ごした彼は、プレミアリーグに別れを告げた。
 
 その後、オーストラリアやタイでプレーし、12年に現役を退いたファウラーは、リバプールのアカデミーで指導に従事したりしたが、一方で不動産の運用や競走馬の投資などで莫大な収入を得、引退後に大成功した選手のひとりとしてその名を広めることとなった。
 
 さて、ファウラーのプレミアリーグにおける最終的な通算得点は163。これは現在、6位の記録である。
 
 1位はアラン・シアラー。イングランド・サッカー史に残る偉大なストライカーは260ゴールという大記録を作った。これに続くのは、現役選手のウェイン・ルーニーで、現在192という通算記録は、この先、どこまで伸びるだろうか。
 
 3位はプレミアリーグ初期のマンチェスター・ユナイテッドを牽引したアンディ・コール(187点)、4位はチェルシーで数々の栄光を手にしたフランク・ランパード(177点)、そして5位はアーセナルで長年にわたって活躍したフランス人、ティエリ・アンリ(175点)だ。
 
 ファウラーに続くのは、今シーズン、32節終了時点で12得点を挙げているジャーメイン・デフォー(サンダーランド)で152点。そして残りひとりは、150点のオーウェンとなっている。
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