【今日の誕生日】4月6日/攻守で決定的な仕事を果たす“浦和のバッファロー”――森脇良太(浦和)

2016年04月06日 サッカーダイジェストWeb編集部

浦和では悔しい思い出のほうが多いが、30歳で臨む今季は!?

5節終了時点で、浦和は首位に立っている。今季こそ、年間王者の称号を手に入れられるか。そして森脇は何度、決定的な仕事を果たせるだろうか。 写真:徳原隆元

◇森脇良太:1986年4月6日生まれ 広島県福山市出身
 
 常に周囲を盛り上げる存在だ。いわゆる「いじられキャラ」であり、森脇良太がアクションを起こせば、選手やサポーターは"お約束"の愛あるブーイングを浴びせる。息はぴったりだ。
 
 ピッチ上でもその元気は変わらないが、勢いだけの選手などではない。DFとして見事なボール奪取を見せる一方で、高いビルドアップ力を活かして攻撃の起点にもなり、さらにはFW顔負けの鮮やかゴールも決めてみせるなど、非常に引き出しが多い。"浦和のバッファロー"だ。
 
 全員攻撃・全員守備を標榜するミハイロ・ペトロヴィッチ監督のサッカーを、常に体現している選手のひとりである。
 
 FWとしてサッカーを始めた森脇は、1999年にサンフレッチェびんごのジュニアユースチームに入団し、2002年にサンフレッチェ広島ユースへ昇格。ここでSBに転向し、日本クラブユース選手権、Jユースカップ、全日本ユース選手権といったタイトルの獲得に貢献した。
 
 04年、ナビスコカップでトップチームでのデビューを果たすが、05年ともにカップ戦での1試合出場に止まったことで、06年からはピッチに立つ機会を求め、愛媛FCで2シーズンを過ごす(レンタル移籍)。ここではレギュラーとして活躍し、計79試合出場4得点の成績を残した。
 
 08年に復帰した広島でも、CBのサイドとしてポジションを確立し、5シーズンのあいだに、ゼロックス・スーパーカップ(08年)、J2(08年)、J1(12年)といったタイトルの獲得に主力として貢献した。
 
 13年、恩師"ミシャ"ペトロヴィッチの後を追って浦和レッズに加入。3バックの一角としてポジションを守り続けており、今季も5節終了段階で全試合フル出場。5節の甲府戦ではミドルシュートで決勝ゴールを挙げ、ヒーローとなった。そして試合後はもちろん、サポーターから"いじられた"。
 
 浦和では、昨季の第1ステージ優勝を除けば、土壇場でタイトルを逃すことが多く、森脇自身も主力選手として責任と悔しさを感じている。今季こそ年間王者となって過去の鬱憤を晴らせるか、注目される。
 
 また、現時点で3試合出場に止まっている日本代表としても、この先、キャリアを再開できるかどうかが興味深い。11年のアジアカップでは盛り上げ役として優勝に一役買ったが、経験を積み、プレーの精度も向上した今、どのような貢献を果たせるだろうか。
 
 ところで森脇といえば、広島ユース出身。そして広島ユースといえば、多くの有能なタレントを輩出してきた歴史がある。早くから育成を大事にしてきたことで、主力が退団してもそれを自前で穴埋めできるシステムが出来上がっている。
 
 その存在が最初に脚光を浴びたのは、99~00年、Jリーグ最初の双子である和幸と浩司の森崎兄弟、そして駒野友一(現FC東京)がトップデビューを果たした頃だろうか。ユース所属選手は全員、地元の吉田高校にするということも同時に、知られるようになった。
 
 その後、ここから日本代表まで昇り詰めたのは、駒野の他、高萩洋次郎、森脇、槙野智章、そして柏木陽介といったところだ。駒野は2度のワールドカップ出場を果たし、10年南アフリカ大会では喜びと悲しみを味わった。
 
 ちなみに現在はFC東京でプレーし、日本代表でも不動の存在となっているDFの森重真人も広島のジュニアユースに所属したが、ユースには昇格できず、高校サッカーから実績を積み重ねていった。
 
 近年では、U-23日本代表の中心選手でもある野津田岳人が最も注目を集めている。かつての森脇と同じように、出場機会を求めてアルビレックス新潟にレンタル移籍した彼は、どれだけの成長を遂げて広島に帰ってくるだろうか。
 
 最後に、森脇はサンフレッチェびんごのジュニアユースから広島のトップチームに昇格した最初の選手。今は浦和で奮闘する彼の足跡は、故郷にしっかり刻まれている。
みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事