【今日の誕生日】4月1日/プレッシングサッカーの“始祖”――サッキ(元ミラン監督etc.)

2016年04月01日 サッカーダイジェストWeb編集部

選手に戦術を植え付け、運動量を要求したことで反感も買った。

べらぼうな運動量が要求されるプレッシングサッカーは、サッキにプロ選手としての経験がなかったからこそ生まれ、選手に“強要”できたのだともいわれている。 (C) Getty Images

◇アリーゴ・サッキ:1946年4月1日生まれ イタリア・フジニャーノ出身
 
 来シーズンの欧州カップ出場権を懸けて、懸命にリーグ終盤戦を戦っているミラン。もっとも、もはや彼らが狙えるのはチャンピオンズ・リーグ(CL)ではなく、ヨーロッパリーグのほうだが……。
 
 かつては毎シーズン、CLで優勝候補に挙がっていたチームの現状は寂しい限りだが、現場はわずかな希望を持って、一歩ずつ上昇していこうと努めている。
 
 ミランが最後に欧州制覇を果たしたのは2006-07シーズン。果たして、8度目の歓喜を味わうのはいつになるだろうか……。そして、その時に"ロッソネロ"を王者に引き上げる指揮官は誰なのだろう。
 
 アリーゴ・サッキは、ミランの歴史において、ネレオ・ロッコ(1962-63、68-69シーズン)に次いで2番目に欧州王者の将となった男である。87年に監督に就任し、1年目でセリエAを制し、翌シーズンには勢いそのままに、チャンピオンズ・カップ(当時)までも勝ち取ってしまった。
 
 86年にシルビオ・ベルルスコーニがミランを買収して会長に就任し、1年の様子見を経てチームの変革に乗り出した時、最初に手をつけたのが新監督選びであり、ここで彼は経験豊富なベテランではなく、新進気鋭の若手指揮官だったサッキの登用を決意する。
 
 プロ選手としての経験がないサッキは、チェゼーナやフィオレンティーナのユースチームで経験を積んだ後、82年にセリエC1のリミニで監督業を開始。85年に監督となったパルマをC1からBに昇格させ、さらにコッパ・イタリアで2度もミランを下してみせた。
 
 この試合でパルマが見せたアグレッシブなサッカーに衝撃を受けたベルルスコーニが、独断でサッキを招聘したことに、当初は批判的な意見も少なくなかったが、前述の通り、新監督は1年で結果を出し、しかも毎年、新たなビッグタイトルをミランにもたらした。
 
 スクデット獲得こそ初年度の1回だけだが、チャンピオンズ・カップ、トヨタカップ(インターコンチネンタル・カップ)を2年連続で制したことで、ミランは誰もが認める世界最強クラブとなり、クラブ史上最高の至福の時を過ごすこととなった。
 
 サッキが編み出したプレッシングサッカーについては、今さら説明するまでもない。ボールを持った相手に対し、高い位置で複数の選手によってプレッシャーをかけ、ボールを奪ったら素早く攻撃に転じるという、現在では当然のスタイルである。
 
 パオロ・マルディーニいわく、サッキは「戦術オタク」であり、監督就任時にはバカンス中のマルディーニに突然電話をかけてきて、1時間近く新しいミランの戦術を説明し続けたという。マルディーニはこの時、「正気の沙汰じゃない……」と思ったとか。
 
 一流の選手たちに高度な戦術を植え付け、高い運動量を要求したことで、ミランは他チームを圧倒したが、反面、束縛を嫌う一部の選手からは反感を買い、それが遠因となって91年限りで退任することになる。
 
 ミランを離れると同時に、イタリア代表監督に"栄転"したサッキは、ミランの時と同じような高レベルのサッカーを選手に要求したが、練習時間の少ない代表レベルでこれは困難であり、94年アメリカ・ワールドカップで準優勝という好成績を挙げるも、チームには不安定さが付きまとまった。
 
 EURO96でグループリーグ敗退を喫して代表監督の座を降りてからは、96年に大不振のミランに復帰するも立て直せず、すぐに退任。以降、アトレティコ・マドリー、パルマでも、かつてのような高い手腕を発揮することはなかった。
 
 サッキが生み出したスタイルは全世界に広がり、より高度なものとなって彼の元に帰ってきたのである。
 
 現在のサッカーは、10年前と比べても格段の進化を遂げているが、それがサッキの編み出したプレッシングサッカーの延長上にあることは間違いない。
 
 さて、サッキが強豪チームの礎を築いたミランはその後、ファビオ・カペッロによってさらに熟成され、91-92シーズンにはセリエA初の無敗優勝。ここからリーグ3連覇を果たし、93-94シーズンにはCLも制した。
 
 95-96シーズン限りでカペッロが監督を退いた後、低迷の時期が到来したが、01年にカルロ・アンチェロッティが新指揮官になると、02-03、06-07シーズンで欧州王者となるなど、ミランは21世紀最初の黄金時代を謳歌した。
 
 ミランを欧州の頂点に導いた4人の名将。ミラニスタたちは今、5人目の救世主の到来を待望している。
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