【今日の誕生日】3月29日/スターの“当たり年”に誕生した天才創造者――ルイ・コスタ(元ポルトガル代表)

2016年03月29日 サッカーダイジェストWeb編集部

ポルトガルに魅力を添えた典型的な背番号10のファンジスタ。

フィオレンティーナ在籍時には、セリエAでナンバーワンの10番と称されることが多かった。現在のサッカー界を見て、「真の10番がいない」と寂しく思っているとか。 (C) Getty Images

◇マヌエル・ルイ・コスタ:1972年3月29日生まれ ポルトガル・アマドラ出身
 
 サッカー界において、「黄金世代」という言葉はしばしば聞かれるが、それが最も似合う世代のひとつとして、1960年代後半~70年代に生まれのポルトガル人選手が挙げられる。
 
 世界のスーパースター候補の品評会といわれるワールドユース(現U-20ワールドカップ)を89、91年と連覇したポルトガル代表チームには、後に世界を魅了するタレントが多く名を連ねていた。パウロ・ソウザ、フェルナンド・コウト、ルイス・フィーゴ、ジョアン・ピント……。
 
 そのなかに、マヌエル・ルイ・コスタもいた。
 
 子どもの頃、フランスの"将軍"ミシェル・プラティニに憧れていたという彼は、プラティニ同様、類まれな技術力とセンスを活かして中盤で攻撃を司る、典型的な背番号10のファンジスタだった。
 
 自国開催の91年大会で連覇の原動力となった19歳の彼は、名門クラブ、ベンフィカでのキャリアをスタートさせ、ここで1度のリーグ優勝に貢献。93年にはA代表デビューも果たしている。
 
 その名をより世界に知らしめたのは、94年のセリエA参戦だ。このシーズンは、同胞のP・ソウザ(→ユベントス)、F・コウト(→パルマ)もイタリアに上陸したことで、カルチョの世界ではポルトガルの存在がにわかにクローズアップされた。
 
 ルイ・コスタが加入したのは、セリエAに昇格したばかりのフィオレンティーナ。1年目から10番を背負って中盤でタクトを振るった彼は、7シーズンをフィレンツェの街で過ごし、2度のコッパ・イタリア優勝を果たした。
 
 98-99シーズンは序盤から首位を快走し、もしストライカーのガブリエル・バティストゥータが怪我に倒れなければ、68-69シーズン以来、3度目のスクデット獲得も不可能ではなかったといわれている。
 
 ワールドユース優勝で華々しくプロキャリアをスタートさせたルイ・コスタだが、タイトルにはあまり恵まれなかった。代表でも、96年から04年大会まで出場したEUROでは、常に優勝候補に挙げられながらも、ついに優勝トロフィーには手が届かなかった。
 
 特に自国開催の04年大会では、開幕戦で伏兵ギリシャに敗れてスタメンの座を降ろされ、決勝戦は交代出場でピッチに立ち、再び歓喜に沸くギリシャを眺めるという屈辱を味わった。
 
 ワールドカップも、満を持して臨んだ02年日韓大会で大会の注目株と目されながらも、アメリカ、韓国に敗れてよもやのグループリーグ敗退。ルイ・コスタはポーランド戦で1点を挙げたが、この大会に何も喜びを見出すことはできなかった。
 
 クラブレベルに話を戻すと、彼は2001年夏、財政難に喘いでいたフィオレンティーナを離れ、強豪ミランへ加入する。
 
 ここでも背番号10を与えられた彼は、06年まで在籍し、チャンピオンズ・リーグ(02-03シーズン)など主要タイトルを制覇したものの、力を十分に発揮できたとは言い難く、またカカの加入などで年々、出番も減少していった。
 
 06年に古巣ベンフィカに戻り、2シーズンを戦った後にユニホームを脱いだルイ・コスタはその後、この愛するクラブのフロントとして手腕を発揮している。
 
 最後に余談だが、彼が生まれた1972年は、世界中で歴史に名を残す偉大な選手が誕生している。リリアン・テュラム、リバウド、ジネディーヌ・ジダン、パベル・ネドベド、フィーゴという、世界王者の主力メンバーやバロンドール受賞者は、いずれもルイ・コスタと"同級生"だ。
 
 他にも、カレル・ポボルスキー、ヤープ・スタム、マーク・シュウォーツァー、マウリシオ・ポチェティーノ、スティーブ・マクマナマン、アベル・ザビエル、ダレン・アンダートン……各ポジションのスターがおり、チームを組んだらバランスの良い「ドリームチーム」が生まれそう!
 
 なお、女子サッカーの歴史において最高の選手といわれるアメリカのミア・ハムも72年生まれである。日本では、森島寛晃、岩本輝雄、大岩剛、岡野雅行、名波浩……こちらもやはり、バラエティに富んだ魅力的な顔ぶれだ。
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