【今日の誕生日】3月27日/才能と運に恵まれたGK王国の最高作品――ノイアー(ドイツ代表&バイエルン)

2016年03月27日 サッカーダイジェストWeb編集部

多くの先輩GKを追い抜いて、24歳でメジャー大会の正GKに。

◇マヌエル・ノイアー:1986年3月27日生まれ ドイツ・ゲルセンキルヘン出身
 
 現在、世界最高のGKといえば、おそらくほとんどの人がマヌエル・ノイアーの名前を挙げるだろう。
 
 ゴールを守るための全ての能力を高いレベルで備えているだけでなく、足元の技術の高さによって、攻撃の起点、あるいはチャンスメイク、時にはゴールのアシストまでこなしてしまう。
 
 世界一の守護神の座に君臨する彼は、サッカーを始めた頃から、常に高い評価を得る逸材だった。4歳で地元クラブ、シャルケの下部組織に入り、2011年にバイエルンへ移籍するまで、生まれ故郷で過ごした。
 
 世代交代がなかなか進まないGKというポジションにおいては、将来有望な選手であってもゴールマウスに立つのは容易ではないものだが、若きノイアーは運にも恵まれた。
 
 プロ2年目の時、シャルケの第2GKだったクリストファー・ハイメロートがボルシアMGに移籍したことで序列がアップ。さらにシーズンが開幕すると、正GKのフランク・ロストが負傷離脱したことで、スタメンの座が回ってきたのである。
 
 ここで類稀なセンスと高レベルのプレーを見せたノイアーはそのシーズンで、復帰したロストからポジションを奪取する。弱冠20歳の時だった。
 
 当時、シャルケのスポーツディレクターだったルディ・アサウアーは「近い将来、必ずドイツでナンバーワンのGKになる」と断言したが、彼の予想をはるかに上回るスピードで頭角を現わしたノイアーは、ドイツ代表の守護神争いにおいても、一躍注目を浴びる存在となる。
 
 当時、正GKだったイェンス・レーマンの後釜として、最有力候補だったのはティモ・ヒルデブラントであり、ロベルト・エンケ、レネ・アドラー、ティム・ヴィーゼ、ロマン・ヴァオデンフェラーらが列に並ぶ状況だったが、ノイアーは4年間で、この先輩たちを一気に追い抜いた。
 
 驚くべき才能を備えた若き守護神が、その名を連ねることとなったドイツ名GKの系譜――。
 
 初優勝した54年スイス・ワールドカップでゴールマウスを守ったトニー・トゥレクから始まり、66年イングランドW杯(準優勝)のハンス・ティルコフスキー、そして70年メキシコW杯(3位)から78年アルゼンチンW杯まで不動の守護神として、世界と欧州の両方を制した名手ゼップ・マイヤー……。
 
 80年代の幕開けとともにハラルト・シューマッハーがその座に君臨し、欧州制覇1回、W杯準優勝2回の成績を残す。彼が87年にスキャンダルによってその座を追われると、地元開催のEURO88ではアイケ・インメルが正GKに昇格。その後、若きボド・イルクナーが台頭し、90年イタリアW杯で世界王者の一員となった。
 
 現代表スタッフのアンドレアス・ケプケはイルクナーの後を受けて正GKとなり、EURO96を制覇。98年フランスW杯後にその座をオリバー・カーンに譲る。出場3回目にしてようやくピッチに立ったカーンは02年日韓大会で準優勝を果たすも、タイトルに手は届かなかった。
 
 06年の自国開催のW杯でカーンからポジションを奪ったレーマンは、2年後のEUROでもゴールマウスに立ったが、彼もまた、あと一歩で優勝を味わうことができずに終わっている。
 
 そして、この後に続いたのがノイアー。10年南アフリカ大会で、24歳にしてドイツのゴールを守り(3位入賞)、その4年後には、世界を制した4人目のドイツ人正GKとなった。
 
 すでにクラブでもリーグ、チャンピオンズ・リーグ、クラブワールドカップを制している彼は、30代に突入した今年、唯一獲れていないEURO(前回は準決勝でイタリアに敗北)に照準を絞っている。
 
 ますます円熟味を増す史上最高の守護神。GK王国ドイツでは、今も次々に逸材が出現しているが、ノイアーの牙城は当分、脅かされることはなさそうだ。
みんなにシェアする
Twitterで更新情報配信中

関連記事