【今日の誕生日】3月22日/日本サッカー栄光の瞬間の正GK――前川和也(元日本代表)

2016年03月22日 サッカーダイジェストWeb編集部

突然の出番でゴールマウスに立ち、大きなミスを犯したが…。

写真は92年のアジアカップ準決勝後。189センチという恵まれた体躯を活かし、ハイボールに強いのはもちろん、1対1でのセーブ率も非常に高かった。ちなみに関西大在学中の息子・黛也(だいや)も将来有望なGKであり、昨年はセレッソ大阪の特別指定選手に登録されている。 (C) SOCCER DIGEST

◇前川和也:1968年3月22日生まれ 長崎県平戸市出身
 
 1992年、広島。アジアカップ準決勝の中国戦で日本代表のゴールマウスを守っていたのは、不動のレギュラーGK、松永成立だった。しかし日本が2-1でリードしていた60分、アクシデントが起きた。
 
 混戦で絡んだ相手を、思わず松永が蹴りつけてレッドカードを受けたのである。守護神のよもやの退場劇により、アップもそこそこに急いでゴールマウスに立ったのが、地元サンフレッチェ広島でプレーする前川和也だった。
 
 それまで親善試合で3試合に出場しただけの若い第2GKは、公式戦の大事な場面でいきなり投入されたという戸惑いや緊張感があったのだろう。出場から70分、相手のクロスをキャッチしそこなって後方にこぼし、中国の同点ゴールを許してしまった。
 
 痛恨のミスによる失点で、ここからチームが崩れたとしてもおかしくなかったが、代表史上初の外国人監督ハンス・オフトに率いられた日本は気落ちすることなく攻め続け、試合終了6分前に中山雅史がヘディングシュートを決めて勝利を奪った。
 
 仲間に救われたかたちとなった前川は、サウジアラビアとの決勝戦でスタメン出場。ここではしっかり90分間を守り抜いた。そして、彼のクラブの同僚である高木琢也が決勝ゴールを奪った日本は、開催国としての責務を完璧に果たした。
 
 これは日本にとって、極東選手権(30年)、ダイナスティカップ(92年)に続く代表チーム同士によるコンペティションでの優勝であり(91年に優勝したキリンカップはクラブチームと対戦)、翌年からスタートするJリーグを盛り上げる意味でも重要な勝利だった。

 そんな日本サッカーの偉大な瞬間をピッチ上で迎えた前川は少年時代、地元・平戸でGKとしての素質を磨き、平戸高校では県予選であの国見高校の猛攻を凌いで高校選手権に出場している(2回戦の秋田商業戦でPK戦の末に敗退)。
 
 高校卒業後はマツダに入団し、後に日本代表で共に戦うことになるディド・ハーフナーの指導もあって成長。プロクラブ、サンフレッチェ広島が誕生する頃には、レギュラーの座を確立し、代表に選出されていた高木、森保一とともにチームの顔として、メディアへの露出も多かった。
 
 代表では、前述のアジアカップ以降も日本代表の一員であり続け、96年までに計17試合でゴールマウスを守った。
 
 ちなみに中国戦でのミスはその後、日本が優勝したこともあって、珍プレーとして紹介されるなど笑い話的なエピソードとなっているが、本人は「もしあれで負けていたら……と考えるとトラウマになりました」と振り返っている。
 
 2000年には広島への未練を感じながらも、大分トリニータに新天地を求め、ここで01年に引退。以降はクラブのスタッフとなり、現在は広島のFCバイエルンツネイシのスクール統括チーフ兼GKコーチとして若年層の育成に貢献している。
 
 日本代表の守護神の系譜において、重要な役割を担った前川。横山謙三、田口光久、松井清隆、森下申一、そして松永といった歴代GKが繋いできたタスキを、日本サッカーの過渡期に受け取り、後に続く者たちへこれを引き継いだ。
 
 その後、日本代表のゴールマウスは、下川健一、川口能活、楢崎正剛、川島永嗣、西川周作らが守り続けて現在に至っている。ゴールの番人のストーリーは、これからも永遠に続いていく。
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