【今日の誕生日】3月10日/ついに失脚した「伏魔殿の支配者」――ブラッター前FIFA会長

2016年03月10日 サッカーダイジェストWeb編集部

権力と富の象徴は、公平性と清廉性の象徴へと変わるだろうか。

在任中は「毎日100のアイデアを思いつき、そのうち“101”はくだらない」とメディアから酷評されたりもしたブラッター前会長。もちろん功績も多々あったが……。 (C) Getty Images

◇ジョセフ・ブラッター:1936年3月10日生まれ スイス・ヴィスプ出身
 
 サッカー界を揺るがし続けているFIFA(国際サッカー連盟)の汚職事件。米国司法省によって、中南米のサッカー連盟の重鎮たちが芋づる式に不正の罪で起訴されたのを皮切りに、ついに世界のサッカー界の中枢にも捜査のメスが入った。
 
 会長だった"ゼップ"ブラッターは、この騒ぎのなかで昨年5月に5選を果たし、FIFAの信頼回復とサッカー界のさらなる発展に邁進すると語ったものの、その誓いから4日後には辞意を表明。自身にも、捜査の手が及んでいたからだ。
 
 同年12月には、2011年にFIFA副会長兼UEFA会長のミシェル・プラティニへコンサルティング料という名目で多額の金を支払ったことが賄賂にあたるとして、倫理委員会から8年間の活動禁止処分を言い渡された。
 
 そして今年2月に行なわれた会長選挙で、前UEFA事務局長のジャンニ・インファンティーノが当選を果たして第9代会長に就任したことにより、ブラッターは権力の座から完全に滑り落ちた。
 
 1930年にスイスの美しい山間の町に生まれ、ローザンヌ大学で経済学を学んだブラッターは、アイスホッケー連盟事務局やスポーツ記者として働く他、72、76年のオリンピックの運営にも関わった。
 
 FIFAには75年に入局し、テクニカルディレクターや事務局長を務めながらその地位を固めていき、98年6月の選挙で会長の座にまで昇り詰めた。アフリカでのワールドカップ開催を約束したこと、各国に資金をばらまたことが、"政敵"レンナート・ヨハンセンを下した要因だといわれている。
 
 FIFA会長として、ワールドカップ開催国の大陸ローテーション制、トヨタカップ(インターコンチネンタルカップ)からクラブワールドカップへの移行など、数々のアイデアを打ち出しては実行に移し、サッカーを発展させながら、かつビジネスとして巨大化させていった。
 
 その一方で、金にまつわる不正の疑惑が常に付きまとい、FIFAの闇をより濃くさせていった人物としても知られるようになり、最終的にそれが彼の歩みを止めることとなった。
 
 自らの潔白を訴えながら、80歳の誕生日を迎えたブラッター。先日はフランス検察局が不正な金銭授受の証拠を掴んだというニュースも流れ、支配者の座を降りた今なお、その身辺が穏やかになる気配はない。
 
 このように、今や絶大な権力と富の象徴ともいうべきFIFA会長の座だが、その系譜を最後に振り返ってみよう。
 
 1904年のFIFA創設とともにフランス人のロベール・ゲランが初代会長の座に就き、ダニエル・ウールフォール(イギリス)を経て、3代目はジュール・リメ(フランス)。ワールドカップを設立したことで知られ、70年大会までの優勝トロフィーには彼の名前が冠せられていた。
 
 その後、ルドルフ・ジルドライヤー(ベルギー)、アーサー・ドルリー(イギリス)と続き、6代目にはスタンレー・ラウスが就く。このイギリス人紳士が在任した61~74年は、テレビの普及もあってサッカーがさらなる大きな発展を遂げていった。
 
 74年に第7代会長となったブラジルのジョアン・アベランジェは、ワールドカップ出場枠を長く続いた16か国から24に増やすなど、サッカーを拡大・発展させるとともに、そこから生まれる利益(金)も重要視。それは次のブラッターにも引き継がれた。
 
 そして今回、混乱の極みにあるサッカー界を取り仕切ることとなった45歳のインファンティーノ。若きスイス人は、FIFAという暗黒の伏魔殿を改革し、自らが公平性と清廉性の象徴となれるだろうか。
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