【ビッグクラブの回顧録】“あの時”のユナイテッドを振り返る vol.16~2005-06シーズン ~

2016年03月08日 サッカーダイジェストWeb編集部

猛スパートで2位確保も、またもチェルシーを相手に苦渋を味わう。

14年ぶりにリーグカップを制したユナイテッド。対戦相手に恵まれたのは事実だが、3回戦からの6試合で計17ゴールという圧倒的な破壊力を見せ、このシーズン唯一のタイトルを獲得した。 (C) Getty Images

 2005-06シーズンのユナイテッドは、2年連続リーグ戦3位の汚名返上と、プレミアの覇権奪回に燃えていた。
 
 開幕前には、ユナイテッドにとってペーター・シュマイケル退団以来の悩みでもあったGKの補強を敢行。フルアムから、オランダ代表の正守護神で経験豊かなエドウィン・ファン・デルサルを獲得した。
 
 さらに、PSVからパク・チソンの引き抜きにも成功。攻守にわたるハードワークを惜しまないこの韓国代表MFはすぐさま戦力として機能し、コーチ陣とファンの信頼を勝ち取る。これにより、中盤の選手層は厚みを増した。
 
 しかし、適材適所の補強も虚しく、ビジャレアル、ベンフィカ、リールと同組となったチャンピオンズ・リーグ(CL)では、格下のリールから勝ち星(0-0、0-1)を挙げられなかったことが響き、まさかの最下位……。クラブ史上初のグループステージ敗退という失態を犯してしまったのである。
 
 失意のユナイテッドに、さらに追い打ちをかけるニュースが舞い込む。クラブ史に残るキャプテンとして長年チームを引っ張ってきたロイ・キーンが退団し、セルティックへ移籍することを電撃発表したのだ。
 
 同郷のアイルランド人ファンが多いことで知られるセルティックでの引退をかねてから希望していた本人の意思が尊重されたかたちの退団劇だったが、偉大なリーダーの喪失はユナイテッドファンの不安を大きくさせた。
 
 この発表から、奇しくも"7"日後にあたる11月25日、類稀なプレースキルでサッカー史に名を刻み、クラブにとって伝説の背番号7番だったジョージ・ベストが他界した。
 
 容姿端麗で「5人目のビートルズ」とも呼ばれた伝説的スターの死を、多くのフットボールファンが悲しみ、故郷(北アイルランド・ベルファスト)での葬儀には10万人が参列。その週のプレミアリーグでは、全試合で黙とうが捧げられた。
 
 2人のレジェンドとの"別れ"のショックが冷めやらぬまま迎えた、年明けのマンチェスター・ダービーでは1-3と完敗。さらに、リバプールとのFAカップ5回戦でも0-1と惜敗するなど、ユナイテッドは勝ち星から遠ざかる日々が続いた。
 
 そんな暗雲立ち込めるチームの希望となったのは、クラブ史上2度目のリーグカップ制覇だ。バーネット、WBA、バーミンガム、ブラックバーンと対戦相手に恵まれた部分はあったが、順調に勝ち進み、決勝ではウィガンに4-0と大勝。見事に14年ぶりの戴冠を果たした。
 
 これで自信を取り戻したユナイテッドは、プレミアリーグ第25節のフルアム戦から破竹の9連勝を飾り、それまで大きく水を開けられていた首位チェルシーとの勝点差を7にまで縮める猛烈スパートで2位に浮上。逆転優勝の期待を抱かせた。
 
 しかし、スタンフォード・ブリッジに乗り込んだ36節のチェルシーとの直接対決で、0-3と敗れて万事休す。目の前でトロフィーを掲げられる屈辱を味わって、シーズンは2位で終焉した。
 
 そして、このシーズンの終了後にはルート・ファン・ニステルローイが移籍を決意。ヤープ・スタムやデイビッド・ベッカムら多くのタレントがそうだったように、アレックス・ファーガソン監督との確執が要因だった。
 
 後半戦に入り、主軸にルーニーを据えられ、さらに台頭していたルイ・サハが重用されたことで、ファン・ニステルローイの出場機会は半減。エースのプライドは傷つき、ファーガソンとの関係はこじれ、埋まることのない溝が生まれてしまったのだった……。
 

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