初参戦のJ2で12位。藤枝MYFCを率いる熱血指揮官・須藤大輔の原点と哲学「誰もやったことがないサッカーをする」

2023年12月02日 元川悦子

鳥取で監督キャリアをスタート

藤枝を率いる須藤監督。今季は初のJ2で12位と確かな手腕を発揮した。(C)FUJIEDA MYFC

 初参戦の2023年J2で12位と大健闘し、主導権を握るサッカースタイルで見る者を魅了した藤枝MYFC。シーズン中には渡邉りょう(→C大阪)、久保藤次郎(→名古屋)という2枚看板をJ1クラブに引き抜かれ、キャプテンの杉田真彦がシーズン序盤に怪我で長期離脱を余儀なくされながらも、清水エスパルスなど上位クラブを撃破。底力を見せつけた。

 元日本代表FW柿谷曜一朗(徳島)が「あれだけ選手たちが伸び伸びやっている藤枝みたいなチームは、クラブとしての未来がある。それだけ魅力的なサッカーをしている」と絶賛したほど、大きなインパクトを残したと言っていい。

 そのチームをけん引するのが、2021年夏から指揮を執る須藤大輔監督だ。

 現役時代は水戸ホーリーホックを振り出しに、湘南ベルマーレ、ヴァンフォーレ甲府、ヴィッセル神戸、藤枝の5クラブでプレー。2010年に現役引退し、Jクラブの監督となったのは、2018年6月のガイナーレ鳥取が最初だった。

 J指揮官に至る道のりを、次のように振り返る。
 
「引退直後から2014年まで山梨学院大学サッカー部の指導をしていたんですが、JFA公認S級ライセンスを取ろうと決意。大学の指導を辞めて、2015年にはそちらに力を注ぎました。同期には元日本代表の宮本恒靖さんや福西崇史さん、三浦淳寛さんらがいて、大きな刺激を受けました。

 僕は桐光学園から東海大学を経てJリーガーになったのですが、プレーヤーとしてはトップに行けなかった。J1制覇の経験もないし、日本代表にもなれなかった。桐光の1つ下には中村俊輔がいましたけど、彼みたいなキャリアは全然送れませんでした。だからこそ、指導者になって大きな夢を追い求めたいと思い、S級取得にこだわったんです。

 とはいえ、S級を取ってもすぐに監督の仕事に就けるわけじゃない。そこで自分でサッカースクールを立ち上げ、解説の仕事を並行して手掛けるようになりました。それを3年近く続けていた2018年、鳥取の吉野智行強化部長から突如として連絡があり、監督就任の打診を受けた。すぐに返事をして、未知なる地へ赴いたのが始まりです」

 当時の鳥取は森岡隆三監督が解任され、後任探しが急務だった。そこで吉野強化部長は湘南時代の同僚で、熱血漢の須藤監督に白羽の矢を立てた。J指揮官としては未知数だったが、彼の情熱があればクラブを変えられると確信したのだろう。

「鳥取へ行ってみると、選手もメディアも『誰だ、お前?』という雰囲気が少なからずありました。僕は最初のミーティングが大事だと思い、『俺は何を言われても構わないけど、自分たちは超攻撃サッカーを見せたい。諦めずに戦い続ける姿をピッチで表現するんだ』と40分にわたって熱っぽく語り続けたところ、みんなの顔色が変わったように感じられた。それが監督第一日目でした。

 僕も失うものは何もなかったし、J2昇格を目ざして突き進むだけだった。最終的には3位に終わって上がれなかったんですけど、この半年で本当に多くのことを学ばせてもらった。貴重な経験になりましたね」

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次ページ最初に流した曲は『This is me』

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