命を奪われたイスラエル人フットボーラー【サイモン・クーパーが綴る戦時下のフットボール|前編】

2023年12月09日 サイモン・クーパー

マッカビと自爆テロを同時中継

テロリストに命を奪われたアスリン氏。ハポエル・テルアビブ時代のこの07-08シーズン、UEFAカップ出場を果たしたFWだった。(C)REUTERS/AFLO

 過激派組織による卑劣なテロ行為をきっかけに、何度となく繰り返されてきたイスラエルとパレスチナの武力衝突がふたたび激化している。

 もちろん、フットボールは止まったままだ。かの地にボールが転がる日は戻ってくるのだろうか。欧州を代表する著述家のサイモン・クーパーが、複雑で難解なテーマに切り込む。

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 リオル・アスリンは19年にわたり、イスラエルの国内リーグでプレーしたひとりのフットボーラーだった。

 2023年10月7日、彼は43歳の若さで帰らぬ人となった。パレスチナ自治区ガザから3kmという地点での屋外音楽フェスに参加していた際、パラグライダーで突如会場に降り立ったハマスのテロリストたちに命を奪われたのだ。

 このテロ以降、ハマスの拠点があるガザ地区へのアクセスはすべて遮断され、そこに住む人々は中に閉じ込められた。イスラエルはいま、1948年の建国以来もっとも悲惨な戦時下にあり、フットボールは止まったままだ。あの地にボールが転がる日は、いつか戻ってくるのだろうか。

 僕は思う。世界地図の中にある小さな点、ガザというエリアを理解するにはフットボールを用いるのが最適な方法だと。
 
 イスラエルには何度も足を運んだことがある。僕の親戚がイスラエルに住んでいるのだ。あれほどフットボールに狂喜する国はそうはない。そして、世界のどの国よりも期待以上の成果を上げてきたナショナルチームがパレスチナ代表である。

 フットボールは長い歴史の中で、この2つの「国家」とどのように結びついてきたのか。

 ガザ出身のパレスチナ人に尋ねたことがある。なぜガザの人々は誰も彼もフットボールを見るためにテレビにかじり付くのかと。彼はこう答えた。

「あそこにはそれほど娯楽ってものがないんだ。ふらっと出かけるような場所もね」

 イスラエルの熱気も同様だ。2002年、海沿いの街テルアビブでパレスチナ人による自爆テロが起きた。その日は地元チームのマッチデーで、テレビにはアウェーで4点差を追いかけるマッカビ・テルアビブの試合が映し出されていた。

 テロが発生したのはその試合中で、ここでテロ報道に切り替わるかと思われた。しかし、イスラエルのテレビ局は画面を二分割し、マッカビと自爆テロを同時中継した。すぐそこで起きた惨劇とフットボールを、視聴者がどちらも追えるように。

 スタジアムのイスラエル人たちはとにかく熱い。ファンは中東の政治家のように手厳しく、贔屓ではないイスラエルのクラブがチャンピオンズリーグやヨーロッパリーグで躍進しようものなら、侮辱でも受けたかのように落胆する。
 

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