「キャリアの中で一番長かった」オランダNECに電撃入団のファン・ウェルメスケルケン際が“空白の5か月”を振り返る「29歳、ここからです」【現地発】

2023年11月08日 中田徹

入団の2日後にいきなり右SBで先発出場を果たす

10月下旬にNECへ新天地を求めた際。さっそく存在感を示している。写真:中田徹

 5月21日、スパルタとのアウェーゲームのことだった。カンブールの右SBファン・ウェルメスケルケン際は76分、晴れやかな表情でベンチに引き上げてくると、ショルス・ウルテー監督に笑顔で温かく迎えられた。1-4という大差で負けているチームとは思えぬ雰囲気に、"これが際にとってカンブールでのラストゲームになるのだろう"と私は悟った。

 10月、「元U-23 日本代表のファン・ウェルメスケルケン際(29歳)がドイツ2部リーグのマグデブルクのテストを受けている」という記事が掲載されるまで、彼の動向は不明だった。しかし、ここから際の動きが急に慌ただしくなる。10月24日にNECの公式ホームページで彼が入団テストを受けに来たことが明らかにされ、その3日後にはNECと際が今季いっぱいの契約を結んだことが発表された。

 5か月もブランクのあった際のことを、ロヒール・マイヤー監督は10月29日のAZ戦でいきなり右SBとして先発に抜擢起用し、87分間プレーさせた。11月2日のKNVBカップ、対ローダJC戦では、今度は左SBのポジションでフル出場した。

 11月5日のNEC対フォレンダム戦(3-3)はベンチに入ったものの、現地メディアの予想通り休養した。この試合後、際は空白の5か月を振り返ってくれた。

「チームがなかった期間は、自分のキャリアの中で一番長かった。いくつかオファーの話はありましたが、29歳の自分の今後のキャリアを考えたときに、自分にとって一番魅力的に感じる選択を取ろうと思いました。その取捨選択をしていたら時間がかかりました」

 各チームが夏の準備期間に入った頃は「そろそろ次のチームがないとヤバいな」と思ったという。しかし、本格的にシーズンが始まってからは気持ちが落ち着いた。

「結局、"なりたい自分の選手像"がブレなければ、そこに対して自分はアプローチしていくだけ。だから所属チームがなくっても、毎日やることはたくさんありました。メンタル的には原点回帰じゃないですが、日々淡々とこなしていました」

 知り合いの伝手でアマチュアクラブ、ゴー・アヘッド・カンペンの練習に参加し、ジムには週に3、4回通った。単調な日々ではあったが、やるべきこと・必要なことを毎朝考えながら生活していた。

「チームがあれば、自分が考えなくてもチームがやってくれる。それを5か月間やり続けることができたのは良かった。結果的に(NECで2試合)走れているんでね。良い発見でした」
 
 マグネブルクでは遠藤渓太のいるブラウンシュバイクとの練習試合に出て、前半は右SB、後半は左SBとしてプレーしたという。マグネブルクからの評価は高かったが契約書をかわすには時間がかかった。その頃、NECはペレイラが負傷で長期離脱したため、代わりを務める選手を探しており、際を練習に招いた。

「練習2日でオファーが来ました。『日曜(のAZ戦)から試合に出てもらう』という話だったのでNECとサインしました。」

 AZ戦ではペレイラの怪我に加え、ファン・ローイが出場停止処分だったこともあり、NECは際の力を必要としていた。続くローダJC戦ではユリ・バースの負傷欠場により、際に左SBでプレーするチャンスが巡ってきた。多機能プレーヤーとしてドルトレヒトでプロキャリアをスタートさせた際の姿が、私の脳裏をかすめた。彼がオランダに来て10年も経ったのだ。その間、彼がプレーした公式戦の数は249。もしAZ戦が終盤で打ち切りにならなければ、すでに250試合出場を達成していた。

「(250試合出場にリーチをかけたことは)知りませんでした。嬉しいですね。オランダに10年いたので、ちょっとドイツに出てみると違う感覚だったり、見つかったものがたくさんありました。また、ここからですね。キャリアは半分来たくらい。あと10年間頑張ります!」

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