【移籍専門記者】F・トーレスが中国のオファーを断固拒否。「世界最高額の年俸」よりも「アトレティコ愛」を選ぶ

2016年02月27日 ジャンルカ・ディ・マルツィオ

中国のクラブは移籍市場のギリギリまで粘ったが。

21年前に出会った恩師ブリニャス(左)に100ゴールを捧げたF・トーレス。翌節のヘタフェ戦ではさっそく101点目を決めた。アトレティコとの契約延長は成績次第と言われるだけに、このまま活躍を続ければ残留もありえる。

「あのちっちゃい金髪には何点を付けようか?」
 
 野心溢れるアトレティコ・マドリーの育成部門責任者マヌエル・ブリニャスは、片腕のマノーロ・ランヘルにそう問いかけた。返事はすぐに返ってきた。
 
「10プラス1点だ。いや、プラス2点でもいいくらいだな」
 
 要するに、一刻も早く契約を交わしておくべき逸材だったのだ。10歳の少年の名は、フェルナンド・トーレス。ブリニャスはすぐに動き、ライバルのレアル・マドリーも狙っていた少年をアトレティコの一員になるよう説得した。この"一目惚れのストーリー"はその後、クラブ通算100ゴールという偉大な記録に繋がっていくことになる。
 
 トーレスがトップチームで初ゴールを挙げ、赤と白のシャツのエンブレムにファーストキスをしたのは、今から約15年前の2001年6月3日のアルバセーテ戦だ。それが100回目に達したのは、2016年2月6日。本拠地ビセンテ・カルデロンでのエイバル戦だった。
 
 91分、背番号9が身体を投げ出して左サイドからのクロスを右足でゴールに押し込むと、スタジアムは熱狂の渦に包まれた。生え抜きのアイドルのメモリアルゴールに、アトレティ(アトレティコのファン)の誰もが興奮した。
 
 直後に試合は終了し、トーレスはシャツのエンブレムにキスをして、ピッチサイドにいた杖を突いた84歳の老人に駆け寄る。何やら言葉を交わした後、着ていたシャツを脱いで、「これはあなたのものだよ」と言ってプレゼントした。
 
「あれは誰だ?」
 
「ブリニャスだよ」
 
 観客席を埋めたアトレティ(アトレティコのファン)たちはそう囁き合った。彼らもまた、トーレスという宝物をプレゼントしてくれたブリニャスに一生感謝し続けるだろう。
 
 今年6月で満了を迎える契約はまだ更新されていないにもかかわらず、今冬にトーレスは中国からの巨額オファーを断った。
 
 代理人によれば、なんと「世界最高額の年俸」を提示されたという。金額は明らかにされていないが、今冬に中国に渡った中では最高額を手にしたエセキエル・ラベッシ(パリSG→河北華夏幸福)の1500万ユーロ(約20億円)はもとより、リオネル・メッシの2650万ユーロ(約35億円)をも上回るサラリー。驚愕である。
 
 このビッグオファーを携えて、中国の複数のクラブは同国の移籍市場が閉じる2月26日までラブコールを送り続けたが、ついに時間切れとなった。
 
 トーレスは多くの選手がなびいた"チャイナ・マネー"よりも、リバプール(2007~2011年)、チェルシー(2011~2014年)、ミラン(2014年)と渡り歩く中でも決して変わらなかった"アトレティコ愛"を選んだのだ。
 
 トーレスとアトレティコの"愛の物語"は、100ゴールを超えてなおも続くのか。契約延長の動向を見守りたい。
 
文:ジャンルカ・ディ・マルツィオ
翻訳:片野道郎
 
※当コラムではディ・マルツィオ氏のオフィシャルサイトにも掲載されていない『サッカーダイジェストWEB』だけの独占記事をお届けします。
 
【著者プロフィール】
Gianluca DI MARZIO(ジャンルカ・ディ・マルツィオ)/1974年3月28日、ナポリ近郊の町に生まれる。パドバ大学在学中の94年に地元のTV局でキャリアをスタートし、2004年から『スカイ・イタリア』に所属する。元プロ監督で現コメンテーターの父ジャンニを通して得た人脈を活かして幅広いネットワークを築き、移籍マーケットの専門記者という独自のフィールドを開拓。この分野ではイタリアの第一人者で、2013年1月にグアルディオラのバイエルン入りをスクープしてからは、他の欧州諸国でも注目を集めている。
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