【三浦泰年の情熱地泰】サッカーをやれとは一度も言われなかった…他界した父とはどんな人物だったのか

2023年09月26日 三浦泰年

優しく、ユーモアがあり、ほとんど怒ることはなかった。

三浦兄弟にとってかけがえのない父と笑顔で納まった。写真:ヤナガワゴーッ!

 私の父、納谷宣雄が他界した。僕は長男として喪主を務めた。オヤジは満81歳。最後は自宅で寝て朝を迎えることが出来なかった。

 病名は左尿管癌。30年以上も前に食道静脈瘤破裂と診断され、その7年後に肝硬変を患いアメリカで肝臓移植。

 長くて生存20年と言われていたが、すでに20年以上の月日が経ち、その間に腎臓移植もした。心臓にはペースメーカーを入れた。そうでありながら普通の人より積極的に動き回り、生涯現役を貫いた。
 

 治療を選ばず最後は転移した癌と闘い。自分の決めた生き様を貫き、それを息子、孫の世代にしっかり継承し、たくさんの人達に見守られこの世を去っていった。

 カズの父として有名だが、ブラジルに行けば僕ら息子は「ナヤの息子」と人から呼ばれる。カズはもちろんだが、オヤジもブラジル、サンパウロではサッカーだけではなく日系社会にも大きく貢献して80年代半ばから10年近くたくさんの人達から慕われ愛されたのである。

 父と母は僕が中学から高校へ進学する時期に離婚。姓が母方の三浦になったが、父は納谷なのである。

 コラムという形で報告することになったが、生前、父は母にさえも癌であることを隠そうとした。母にはヤスとカズにも言うなと言ったらしい。癌が発覚して3か月。親族以外には伝えられなかった…。

 優しく、ユーモアがあり、僕ら兄弟にサッカーをやれとは一度も言ったこともなく、ほとんど怒ることもなかった。

 人が好きで、面倒見が良く、人が困っていればなんとか助けようとする。

 いつもオシャレで格好良く、僕のファッションには納得していなかったようだ…。

 子供(赤ちゃん)の頃、ヤスは数回、カズは一回、妹は一度もお風呂に入れた事はなかったと言っていたが、大人になってからはいつも良いアドバイスと忠告、経験から来る、人生論のような大人の世界でどう生きるかのヒントを与えてくれていた。

 オヤジのことを書き綴っても書ききれない程のエピソードと想い。そして皆んなに聞いてもらいたいこと伝えたいことがありすぎる。

 もう近くで見守るオヤジはいない。きっと遠くでいつまでも見守り続けてくれるに違いないが、いつもいたオヤジがいなくなった。

 僕はどうすれば良いのであろうか?
 

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