【ビッグクラブの回顧録】“あの時”のユナイテッドを振り返る vol.1~1986-87シーズン ~

2016年01月18日 サッカーダイジェストWeb編集部

ファーガソン政権初年度は前途多難な船出に…。

長い低迷からの再建に立ち上がったのは、バスビーと同じスコットランド出身の闘将ファーガソンだった。 (C) Getty Images

 華やかな欧州サッカーを彩る各国のビッグクラブ。世界中からスタープレーヤーを揃え、極上のプレーで人々を魅了している。

 独自の魅力を持った豪華なスター集団は、それぞれ異なる歴史を築き上げてきた。シーズンによって異なる選手と監督を擁して、紆余曲折を経ながら、現在に至るその歩みの軌跡を、ここで振り返ってみよう。

 バルセロナに引き続き、振り返っていくのはプレミアリーグで覇道を突き進んできたマンチェスター・ユナイテッドだ。1986-87シーズン途中に就任したファーガソンの下で、低迷期からの脱出果たし、イングランドの盟主としての地位を確立させる彼らのヒストリーに迫る。

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 1960年代後半のユナイテッドは名将マット・バスビーの下、ボビー・チャールトン、デニス・ロー、ジョージ・ベストといったワールドクラスのタレントを擁し、67-68シーズンに欧州制覇を成し遂げるなど、国内外で圧倒的な強さを誇っていた。
 
 しかし、70年代に入り、中心選手の世代交代に失敗したユナイテッドは、73‐74シーズンに2部降格も経験。1年でトップリーグに再昇格するも、かつての輝きは失われ、低迷期に突入していった。
 
 迎えた86-87シーズンもユナイテッドは大いに苦しんでいた。イングランド人監督のロン・アトキンソンのチームは、リーグ戦を開幕4連敗でスタートし、リーグ・カップでも4回戦で早期敗退。そんな低調なパファーマンスに痺れを切らした首脳陣は、11月6日、アトキンソンを解任した。
 
 後任として招聘されたのは、スコットランドのアバティーンで指揮を執りながら、スコットランド代表監督としてこの年の夏にはメキシコ・ワールドカップも戦った、44歳のアレックス・ファーガソンだった。
 
 スコットランドでは押しも押されもせぬ名将としての地位を確立し、バスビーの崇拝者でもあったファーガソンは、規律重視でチーム改革を決行。それにより、チームには良くも悪くも変化がもたらされた。
 
 アバティーンで合計5つのタイトルを獲得し、黄金時代を築いたときの師弟関係にあり、当時ファーガソンが重宝した選手の一人でもあったゴードン・ストラカン(メキシコW杯にも出場)は、ユナイテッドにおいてもファーガソンのスタイルを支持。スコットランド時代の輝きこそ放てなかったものの、右サイドを主戦場に攻守に奔走するなど、献身的な働きを見せた。
 
 一方で、チームの中心だったノーマン・ホワイトサイドとポール・マグラーは指揮官の厳格な姿勢に不満をもらし、徐々に仲違いの状態に……。
 
 とりわけ、マグラーは自身のアルコール中毒からくる問題行動も目立ったうえ(ホワイトサイドも同様だ)、度重なる膝の怪我にも悩まされ、ファーガソンの亀裂は大きくなり居場所を無くし、初年度以降、出場機会も失っていった。
 
 結局、ファーガソン政権の初年度は連勝と連敗を繰り返し、復調の兆しを掴めずにリーグ戦は11位に沈み、無冠で終了した。
 
 ここからユナイテッドがあらゆるタイトルを手にし始める90年代まで、ファーガソンは持前の熱意と忍耐力でユナイテッドを常勝軍団へと変えていくこととなる。クラブにとって、偉大な一歩を踏み出した"転換"のシーズンであった。
◎1986-87シーズン成績
リーグ:11位(17勝12分け13敗・50得点45失点)
FAカップ:4回戦敗退(対コベントリー)
リーグ・カップ:3回戦敗退(対サウサンプトン)
 
チーム内得点ランキング(イングランド・リーグ1部):ダベンポート(16点)、ホワイトサイド(10点)、ステープルトン(9点)、ロブソン(7点)、ストラカン(4点)、オルセン(3点)、モーゼス(2点)、マグラー(2点)、T・ギブソン(1点)、シヴェベーク(1点)、C・ギブソン(1点)、ダックスバリー(1点)、ブラックモア(1点)
 
◎主なトランスファー
◇IN
DF ギドマン(←マンチェスター・C)
MF オブライエン(←シャムロック・ローバーズ=IRL)
FW T・ギブソン(←コベントリー)
 
◇OUT
GK ディグビー(→スウィンドン)
MF ラッセル(→バーミンガム)
MF P・バーンズ(→マンチェスター・C)
FW ヒューズ(→バルセロナ)
 
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