各統括団体は不毛な水掛け論を繰り返す
昨シーズンのバレンシア戦では敵サポーターの差別行為に涙を流したヴィニシウス。(C)Getty Images
何千回も「売春婦の息子」と呼ばれることは、フットボーラーが現役を引退した時に持参する荷物の一つだ。なぜなら、フットボールは娯楽ではなく、人々の感情を突き動かすブースターだからだ。
感情には、本質的に愛と憎しみの2つが存在する。昨今、憎しみが勝っているのは、ヴィニシウス・ジュニオールを猿と呼ぶ一連の騒動を見ても明らかだ。もっともこの種の人種差別行為は、フットボール界だけでなく、他のレベルでも起こっている。
多くの人々が次の選挙で投票先を決めるのは、政党や政治家への親近感からではなく、嫌いな相手への反感からである。政治がフットボール化すれば、我々の手に負えなくなってしまっても不思議はない。スタジアムは人々の本能の吐瀉物だ。
しかも、その吐瀉物には、現代社会に潜む歪みが隠れているので、注意が必要だ。「スペインは人種差別主義者の国ではない」という指摘は、観察の下に置かなければならない。
ヴィニシウスは飛行機のような選手だ。それが問題なのだ。なぜなら、いつの時代も、最も嫌われる選手は最も恐怖を与える選手だからだ。したがってヴィニシウスの行動が問題なのではなく、重要なのはそこから派生する症状だ。彼は名声、知名度、発言力を持った選手であり、その影響力の大きさがこのデリケートな問題にスポットライトを当てることを可能にした。
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ヴィニシウスが問題の根源であるなら、3つの忠告で解決するだろう。しかし、現実はスタジアムが社会の縮図になっており、一朝一夕に解決できるものではない。ファンももちろんその一端を担っており、彼ら自身も事の重大さを認識することから始める必要がある。
一般人がファン(つまりは誇張された人間だ)になることは一つの摩擦が生じる。それがフットボールの本質だからだ。しかし崇高なライバルと憎き敵との間には大きな隔たりがある。前者にはジョークで話しかけても問題がないが、後者には罵声を浴びせる。メディアもその片棒を担いでいる。
ヴィニシウスの一件をバレンシア寄りとマドリー寄りの新聞をそれぞれ読み比べれば、それは一目瞭然だ。いずれもこれ以上ないほど被害者意識を前面に押し出している。SNSもまた、誰も歯止めをかけないまま極端な方向に突き進んでいる。
クラブも、反感を買われることを恐れるあまり、ファン感情に寄り添うことだけに重きを置いた論調を展開し、各統括団体は、不毛な水掛け論を繰り返し、政治家は、1票を失うリスクを避けるため発言すらしない。結果的に憎しみがスタジアムから飛び出し、路上に拡大する事態を招いている。フットボールは、つまるところそうした現実を不愉快な形で反映しているに過ぎない。
私はフットボールを、幸せな形で現実逃避させてくれるエキサイティングな領域として愛している。しかし、ライバルを侮辱することで快楽を得るという、ファシズム的な憎悪が定着している。
もちろんこの問題はスペインだけのものではないが、スペインで起こっていることも事実だ。フットボールが他人を憎むための手段に成り下がるのであれば、これ以上プレーする価値はない。
文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸
【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。
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