「周囲の偏見で変貌が見逃された」アセンシオの退団に元マドリー指揮官が持論「実が熟した時に収穫するのを忘れてしまった」【現地発】

2023年07月02日 エル・パイス紙

「十分な時間が与えられたかどうか疑問に思う」

マドリーに別れを告げたアセンシオ。(C)Getty Images

 2022-23シーズン限りで、マドリーを退団したのがマルコ・アセンシオだ。特大の期待に応えることができないまま去っていくと人は言うが、私の意見は異なる。その能力に見合った環境が用意され、十分な時間が与えられたかどうか疑問に思うからだ。

 繊細さと力強さを持ち合わせ、ドリブルはスムーズで、パスは正確で、シュートは破壊力抜群だ。ただ思い切りに欠けるところがあり、膝に重傷を負ったことで、その傾向がさらに強まった。

 厄介だったのは、そのことで周囲の偏見を生んだことだ。それがまた昨シーズン、アセンシオが変貌を遂げたことがクローズアップされなかった要因でもある。それまでは味方に正確にパスを繋ぐことはできても、そこで完結することが多かった。しかし試合から消えることが少なくなり、より協力的な形でチームプレーに繋がる選手になった。

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 ドリブルで突進しながら周りの状況を確認し、パスを繰り出しながら空いたスペースを探し、プレーの展開を先読みしながら致命的なシュートを狙えるポジションに走り込んだ。

 マドリーは種を蒔き、実が熟した時(実際、アセンシオはキャリアの最盛期を迎えている)、収穫するのを忘れてしまったような気がしてならない。

文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳●下村正幸

【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。

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