「最も賢明な選択だった」メッシのMLS行きに元マドリー指揮官が見解「今回の移籍は6度目のW杯挑戦を後押しする」【現地発】

2023年07月02日 エル・パイス紙

家庭との両立はより容易になる

パリSGを退団し、アメリカへと向かうメッシ。(C)Getty Images

 バルセロナのファンの想像の中では家路に着く途中だったリオネル・メッシは、カタルーニャから、スペインから、ヨーロッパから遠ざかっていった。

 現実には、カタールで映画さながらの演出でワールドカップを制覇した時に、メッシはすでにキオスク(新聞・雑誌などを販売している売店)を閉めていた。そしてその戴冠から数か月後遅れで、36年の人生と申し分のないキャリアが与えることができるすべての権利を手に、表舞台を去る。

 バルサはリスクを伴う栄光を約束し、サウジアラビアは栄光を伴わない金銭を約束した。MSLへの移籍は最も賢明な選択だった。メッシの存在だけでリーグの知名度は大きく向上する。レッドカーペットを敷いて歓迎されるのも当然だ。
 
 周囲からの要求はもちろんあるだろうが、家庭との両立はより容易になる。次のワールドカップはメッシの庭で開催されるわけだ。今回の移籍で6度目の挑戦を後押しすることになるはずだ。

 さらに我々も、これでシャツの色に妨げられることなく(インテル・マイアミを嫌う人間を私は知らない)、段階を踏んでその唯一無二の才能に別れを告げることができる。

メッシが去った。この出来事を祝う者がいるとしたら、それはフットボール、そして人生について何も知らない輩である。

文●ホルヘ・バルダーノ
翻訳:下村正幸

【著者プロフィール】
ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。

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